この記事をまとめると
■アウトランダーPHEV、デリカD:5に富士ケ嶺オフロードコースで試乗
■クロスカントリーラリー開発車仕様のトライトンにも同乗試乗した
■新生ラリーアートの活動に感激! 願わくばランエボの復活を期待したい
中谷明彦が最新三菱車とラリーアート開発車にオフロード試乗
三菱自動車が「ラリーアート」ブランドを復活させるという衝撃的なニュースが伝えられたのは昨年(2021年)の5月だった。そのアナウンスには胸が高鳴ったが、当面は用品の販売のみという説明を受け、がっかりもしていた。
あれから1年。今度はラリーアートがモータースポーツ活動を再開するというアナウンス。しかもパリ・ダカールの覇者である増岡 浩氏を総監督として「アジアンクロスカントリーラリー」に三菱自動車タイランドが生産し、世界へ輸出販売している人気ピックアップトラックである「トライトン」を擁しての本格復帰だという。
その競技用トライトンの試作車にクローズドのオフロードコースで同乗走行できるというので、山梨県「富士ケ嶺オフロードコース」を訪れた。
会場にはパリダカ仕様のパジェロやアジアンクロスラリーで活躍していたアウトランダーが展示され、新型のアウトランダーPHEVやデリカD:5の試乗も可能だ。
まずは総監督の増岡 浩氏が挨拶をした。「新生ラリーアートはかつてのような会社組織ではなく、あくまで社内の一部門として位置付けられ活動を始めるところまできた。まずは小さく初めて、大きく育てていきたい」との想いを語る。
ラリーアートとボクとの関係は浅くない。そもそも1984年にラリーアートが英国をベースに設立され、WRCラリーの活動や欧州ツーリングカー選手権へのサポートなども行っていた。元世界ラリー覇者の故アンドリュー・コーワン氏が初代社長となり、オーストラリアやアジア地域での活動も本格化させる。ボクは1985年にラリーアートと契約し、富士スピードウェイでの第一回インターテックに三菱スタリオン・グループAレース仕様で国際レースにデビューしたのだ。その翌々週にはマカオGPで併催されたミラージュカップの「ジャッキー・チェン・トロフィー」に初参戦。優勝してコーワン社長からトロフィーを授かった。
その後、多くのレースをラリーアートとともに闘い、ランエボの開発にも携わったので、ラリーアートの解散が発表されたときは耳を疑った。
しかし、「ラリーアート」ファンは世界中に多く存在し、海外の多くのファンはいまでもラリーアートがあると信じていて、次の活動を心待ちにしているようだった。
ラリーアートのブランド力は絶大で、新たに創出しようとすれば莫大な費用が必要になる。いまの三菱自動車には新ブランドを立ち上げる環境は整っていない。それよりラリーアートを復活させ、地道に育てていくほうが得策であることは間違いない。