この記事をまとめると
■モーガンのスリーホイラーのリバイバルが話題となった
■かつて日本車にも3輪車が存在した
■日本の3輪車の歴史を振り返る
かつて日本車にも3輪車が存在した
バイクは2輪、クルマは4輪と呼ばれることがあるが、その中間として3輪車というのも存在した。ダイハツのミゼットがお馴染みで、海外ではモーガンが基礎を作ったスリーホイラーというのも有名だ。こちらはエンジンがフロントにむき出しになっていて、リヤが1輪というユニークなもので、登場から約100年経った今、マツダのミッションなどを使用したリバイバルが話題にもなった。今回は自動車史に足跡を残した日本の3輪自動車について振り返ってみよう。
自動車の進化という点で見ると、大きくわけてふたつの流れがある。最初から4輪を作っていたメーカーと3輪から発展したメーカーだ。モーガンは後者となるが、前者では日本のメーカーもいくつかある。マツダやダイハツがそれに当たり、理由はバイクの派生として簡単に作れることができたから。それも乗用ではなく、貨物として作られたため、バイクの後ろに荷台を付け、両側に車輪を付けて積載性と安定性を確保した。
マツダの場合、1931年に第一号となるマツダDA型を販売。昭和6年のことなのでかなり早い時期と言っていいだろう。そもそも前年にはバイクも作っていて、わずかだが市販もしている。ここからの発展型として3輪トラックを作ったのだが、理由としてはすでに紹介したように、作るのが簡単でいきなり4輪を作るのではなく、前段階として最適だったから。
さらに当時すでに3輪トラックが人気だったことが挙げられる。ちなみに自動車メーカーの創成期に問題になりがちな販売網については三菱商事に依頼していて、一部のモデルには三菱のマークが入っていた。つまり三菱のエンブレムを付けたマツダ車が存在していた。このDA型は、デフを搭載していたり、バックもできたことから、世界でも人気があり、輸出もけっこうされていたのは意外なところだろう。ブラジルでは警察車両として使われたりもした。