この記事をまとめると
■ヴィルヘルム・カルマンというボディのデザインと架装をするコーチビルダーがあった
■日産マイクラC+Cなどのリトラクタブルハードトップの開発と生産を担当
■リーマンショックの影響を受けて業務が急減し2009年に破産してしまった
ビートルの兄弟車となるカルマンギアを作ったコーチビルダー
昔はよく耳にしたのに、今はあまり聞かなくなったクルマのブランドは多い。フォルクスワーゲン(VW)のカルマンギアなどに関わったカルマンもそのひとつだ。
正式名称は創業者の名前をそのまま取ったヴィルヘルム・カルマンで、会社が生まれたのはVWよりずっと古く、1901年のことになる。馬車の車体を作るコーチビルダーとしてスタートしたが、まもなく自動車の普及が始まったことから、クルマのボディも手がけることになった。
つまりイギリスのバンデンプラ、イタリアのピニンファリーナと同じような会社だった。ちなみにピニンファリーナなどを指すカロッツェリアという言葉は、イタリア語でコーチビルダーのことを指す。日本語では架装工房となるだろうか。
いずれにしても当時のクルマ、とくに高級車やスポーツカーは、メーカーが作るのはエンジンとシャシーだけで、ボディはいくつかのコーチビルダーが担当するのが一般的だったのだ。
カルマンは第二次世界大戦前からいろいろなメーカーと組んで作品を送り出していたが、その名を一躍有名にしたのは、戦後市販が始まったVWビートルのカブリオレだろう。
ここで高い評価を受けたカルマンは、続いてこのビートルをベースにイタリアのカロッツェリア、ギアがデザインしたスポーツモデルの製作も担当。これがカルマンギアで、ふたつのコーチビルダーの連名という、珍しい車名になった。