この記事をまとめると
◼︎どこに需要があるかわからないハイスペックすぎる乗用車は昔からあった
◼︎売り上げは正直イマイチだった
◼︎普通な見た目から想像できないパワーでインパクトは抜群だった
”羊”すぎる見た目を裏切る超ハイスペックエンジンを搭載した迷車
羊の皮を被った狼、その元祖と言われるのは1964年にレース用ホモロゲモデルとして発売されたスカイラインGT(量産版はGT-B、GT-A)である。もともとは1.5リッター直4を搭載するファミリーセダンに、本来積めるはずもない上級車グロリア用の2リッター直6をブチ込むために、ファイアーウォールと前輪軸の間を200mm延長して……と、今では考えられない荒業を駆使して生まれたクルマだった。
そのルックスは羊と称するには少々違和感もあり、羊の皮を被りきれなかった狼とでも言った方がベターかもしれない。3代目のハコスカに設定されたGT-Rは、リヤフェンダーのサーフィンラインを分断する形でフェンダーアーチが拡大されるなど、もはや羊の皮を脱ぎ捨てた感すらある。
そういう意味で、記憶を辿ってみると、もっと羊っぽいヤツがいた。それは前述したハコスカGT-Rが圧倒的な強さを誇っていた日本のツーリングカーレースシーンにおいて、その連勝(50連勝ともいわれるが諸説あり)をストップさせたマツダ・ロータリー軍団の最右翼、サバンナである。いや、正確にはサバンナに設定された、スポーツワゴンである。
ロータリー専用車として開発されたサバンナは1971年に登場し、当初は4ドアセダンとクーペがラインアップされた。そして翌年に追加されたのがスポーツワゴンだった。今となってはスポーツワゴンというコンセプト自体は珍しくも何ともないが、当時の日本では2ボックスのワゴン=商用のライトバンというイメージが強く、言ってみれば、“ザ・羊”。そんな商用車に10A型ロータリーが搭載され、最高速は170km/hを誇ったというのだから、さぞバカ売れかと思いきや、まったく売れず、翌1973年には早々に生産を打ち切っている。その後、レガシィツーリングワゴンがその沈黙を破るまで、「速いライトバンなんて誰も欲しがらないでしょ」という常識がまかり通ることになった。
次に挙げたいのが、これまた以前は羊の代表選手であったミニバン。日本のミニバンの原点と言われるのが1982年登場の日産プレーリーだが、1988年に登場した2代目も順当に羊路線を歩んだが、1995年のビッグマイチェンでプレーリージョイと改名し、主力エンジンをシングルカムのCA20SからツインカムのSR20DEに変更するなど、押し出しの強いエクステリアデザインに合わせてスポーティ路線にシフトする。
さらに1998年に登場した3代目では車名をプレーリーリバティと変更し、翌1999年には230馬力を発生するSR20DETエンジンを搭載するハイウェイスターGT4を追加して、当時としては異色だった“速いミニバン”という新境地に挑んだ。
また、プレーリーと並んで、日本のミニバンのパイオニアとも称される三菱シャリオは、1983年に登場した初代モデルに1.8リッターターボを搭載し、三菱スポーツのアイコン的グレード名であるMR(Mitsubishi Racing)を名乗る仕様を設定。1991年に登場した2代目に関しては1995年にはランエボ譲りの4G63エンジンに5MTも選択可能な4WDモデル、リゾートランナーGTを設定している。
両車ともに結果として短命に終わったが、そのコンセプトを見事に昇華したモデルとして、「スポーツカーの発想で、ミニバンを変える」のキャッチフレーズとともに2006年に登場した3代目マツダMPVの2.3リッターDIGIターボ(245馬力)の名をここに改めて記しておきたい。