日本は「スーパーカー不毛の地」じゃなかった! F1エンジン搭載車もある圧巻の歴史 (1/2ページ)

この記事をまとめると

■ホンダNSXの生産終了により、日本メーカーのスーパーカーが市場から姿を消す

■過去には、量産こそされなかったものの、数多くのスーパーカーが開発された

■童夢、日産、トヨタはスーパーカー製作のノウハウを活かし、ル・マンでも結果を残した

クルマ好きを虜にしたジャパニーズスーパーカー

 ホンダNSXの生産終了が決まったことで、日本のメーカーのスーパーカーはひとまず市場から姿を消すことになった。現行NSXが登場する前に限定生産されたレクサスLFAも復活の噂は聞こえず、日産GT-Rは性能はともかくカタチがスーパーカーとは言えない。

 しかしこれをもって日本がスーパーカー不毛の地だというのは、ちょっと違う。量産こそしなかったものの、それに向けて開発されたクルマがいくつもあるからだ。スーパーカーブームを知る人にとってはやはりまず、1978年のジュネーヴモーターショーで突然公開された童夢 零を思い出すだろう。

 ホンダS600/S800ベースのレーシングカー、マクランサなどを製作した林みのる氏が中心となって開発したもので、全高わずか980mmという恐ろしく低いウェッジシェイプを持ち、ドアはランボルギーニ・カウンタックのように前支点で上に跳ね上がった。

 エンジンは当時のフェアレディZに積まれた2.8リッター直列6気筒で、デザインに比べるとおとなしかったが、我が国でナンバーをつけて公道を走ることを念頭に置いた選択でもあった。

 ところが日本の保安基準をパスすることができず、母国での販売は断念。童夢はアメリカでの市場化を考え、現地の法規に沿った改良型P-2を発表したものの、やはり市販はされなかった。

 童夢は並行して、零をベースにル・マン用レーシングカーも製作。こちらは1980年に日本車初の完走を果たしている。


森口将之 MORIGUCHI MASAYUKI

グッドデザイン賞審査委員

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2023ルノー・トゥインゴ/2002ルノー・アヴァンタイム
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ネコ、モーターサイクル、ブリコラージュ、まちあるき
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