多様性を持ったスポーツカーブランドとして意味がある
ポルシェといえば、911。
つまりは、RR(リヤエンジン・リヤドライブ)というレイアウトがポルシェ最大の特長とされてきた。ところが、1970年代にポルシェに大きな変化が起こる。
FR(フロントエンジン・リヤドライブ)の登場だ。924、944、そして928とフロントノーズが長いモデルが続々と登場したのだ。長年の911オーナーからは「FRポルシェは邪道」という声があったのは事実だ。または「ドル箱(=アメリカ)目当てのクルマ」と揶揄する自動車雑誌もあった。
そんな70年代から80年代にかけて、筆者の複数の知り合いがFRポルシェを愛用していたこともあり、都内や横浜界隈で筆者自身がさまざまなFRポルシェのステアリングを握る機会が多くあった。
また、当時は自動車雑誌向けの走行テストや、タイヤメーカーの新商品試乗会などで、924や944を日本車スポーツカーと比較することがよくあった。たとえば、いまはなき茨城県の日本自動車研究所(矢田部)で944を高速周回路で走らせたこともあった。
そうした経験のなかで当時「ポルシェが新たに目指す商品性」について思案しながら原稿用紙に向かっていた。
80年代半ばになり、筆者がアメリカでの生活を始めると、街角では数多くの928を見かけた。仕事で付き合うレース関係者のなかにも928愛好家が多くいたので、筆者も928を走らせることがよくあった。
そうしたなかで感じたことがある。アメリカ人の多くは928、また944などのFRポルシェに対して、けっしてネガティブな印象を持っていなかった。日産フェアレディZ(240Zや300ZX)、メルセデス450SLなど、さまざまな2ドア車のなかで、彼らはFRポルシェの価値を見出していたと思う。
とはいえ、筆者個人としては、当時まだ「やはりポルシェはRR」という意識が強くあり、911カレラをロサンゼルス郊外のポルシェ正規ディーラーで購入した。
そうして911と928や944をアメリカで乗り比べる生活をして、改めてポルシェがFRを市場導入した戦略と、作り手の想いが少しずつ分かってきたような気になった。
だが、80年代後半から90年代は、ポルシェはFR路線を一旦切り上げて911という原点に戻っていった。結果的に、FRモデルはポルシェにとって当初目標の売上に及ばなかったのかもしれない。だが、アメリカでも日本でも、FRポルシェに愛着を持った多くのポルシェファンがいたことも事実だ。FRポルシェは決して、ポルシェにとって失敗作ではない。
そして、時代が2000年代に入ると、SUVのカイエンが登場し、セダンではパナメーラが生まれ、そして2020年代はピュアEVのタイカンへと、ポルシェの進化が続いている。
ポルシェとは911を軸足としたブランドであることは、今も昔も変わらないが、多様性を持ったスポーツカーブランドであることにも変わりはない。