所有から共有への転換や原子力発電への依存も必要になる?
菅義偉総理大臣が表明した、2050年までに脱炭素社会を実現することが容易ではないのは事実だ。日本自動車工業会の豊田章男会長が、すべてを電気自動車(EV)にすると、発電能力を10〜15%増やさなければならず、これを原子力発電で補うとしたら10基分、火力発電なら20基分に相当すると語った。
ことに国内においては、福島原子力発電所の事故を受けて原子力発電に対する嫌悪感が広がっており、この発言はEV普及の困難さだけでなく、発電の脱炭素化に対する恐怖心さえあおる内容でもある。
そもそも、EVで使うリチウムイオンバッテリーのリチウムは、世界の自動車をすべてEV化するだけの資源量はなく、不可能と考えられる。一方で、脱炭素化しなければすでに現在起きている自然災害の甚大化は収まらない。
そこで考えられているのが、所有から共有への転換だ。
所有される自家用車の稼働率は10%ほどで、残りの90%は駐車場に止まっている時間だと言われている。これを、共同利用することにより稼働率を高めれば、極端に言えば乗用車の数を9分の1に減らしても、クルマでの移動は満たされる計算になる。そこまで極端でなくても、半分にしてもなお、所有に加え共同利用のクルマが増えれば、個人でのクルマでの移動に不便は感じなくなるだろう。そのような新事業の創出が、雇用も生み出す。
単に、駐車場代や税金、保険料、燃料代を負担せず、利用料金だけでクルマを使える便利さという経済性だけでなく、環境と資源の両立による調和の観点からも、クルマの共同利用は必須の将来像なのだ。当然、新車の販売台数も半減すると考えるのが自然だ。それによって、自動車産業は、完成車メーカーだけでなく部品メーカーも含め大きな痛みを伴うことになる。しかし、それが未来像なのだ。
リチウム資源については、トヨタが力を注ぐ全個体電池も同じだ。単に電解成分が液状か固体化の違いだけであって、リチウムイオンがプラスとマイナスの電極を行き来することで充放電を行う仕組みに変わりはない。
急激なEV化は、社会を混乱させると世間をあおるのではなく、EV化や発電を含めた脱炭素社会の構築は、そのように根本的な産業構造を転換しなければできないのであり、それが時代の要請だと語るのが、業界の長に立つ者の指導力だろう。