すべてが「名車」扱いなのになぜ? いすゞが乗用車から離れて「復活しない」謎 (1/2ページ)

国内ではビッグホーンを最後に乗用車事業から撤退した

 2022年を目途に本社を、創業の地である東京・大森から神奈川・横浜に移転すると発表している「いすゞ」。その創業は1916年。国内の現存自動車メーカーのなかでは最古の歴史を誇る名門で、かつてはトヨタ、日産と並んで御三家と呼ばれていたこともあった。

 ちなみに、いすゞという一風変わった社名の由来は1934年にさかのぼる。当時、開発した商工省標準形式自動車を、伊勢神宮の五十鈴川に因んで「いすゞ」と命名したのがきっかけで、その後、1949年に社名を「いすゞ自動車株式会社」に変更して今に至っている。

 旧御三家の一角であるいすゞ、いまではトラックなど商用車専業メーカーというイメージになっているが、かつてはさまざまな乗用車を生み出してきた。ざっと車名を挙げても元祖ディーゼルセダン「ベレル」、ハンドメイドボディで知られる「117クーペ」、はじめてGTRを名乗った「ベレット」、GMと共同開発した「ジェミニ」、ジウジアーロデザインの「ピアッツァ」といった乗用車が思い出される。ほかにも「フローリアン」、「アスカ」といった名前を憶えているといったオールドファンもいることだろう。

 さらにRVブームを支えた「Mu(ミュー)」や「ビッグホーン」といった本格的なSUVもいすゞの主力モデルだった。実際、いすゞの乗用車事業からの撤退については第一段階として1993年にセダン系モデルの生産から撤退(しばらくはOEMでモデルを継続)しつつ、SUVは生産を続けていた。

 2代目ビッグホーンに搭載された「6VD1」エンジンは、クロスカントリー4WDモデルとしては初のV6 DOHCエンジンであり、そのエンジンを使ったレース車両(ジムカーナD車)などもあったりした。ジェミニで全日本ラリーに参戦したり、1991年にはF1用のV12エンジン「P799WE」を開発してみたりと、モータースポーツにも積極的なメーカーでもあった。しかしながら、日本国内における乗用車販売からは2002年に完全撤退している。

 ちなみに、乗用車系モデルのOEMとしてはホンダ・ドマーニを「ジェミニ」として販売していたこともあった。「アスカ」については、最初のOEMはスバル・レガシィがベースで、その後ホンダ・アコードに変わるという波乱の歴史を持っている。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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