グループSはグループBのアクシデント多発でお蔵入りに
82年から試験導入され、83年から全面施行されたグループBによるWRCは、参戦メーカーが鎬を削ることによって急激に高性能化が進むと同時に、マシンの開発コストや参戦コストも高騰させてしまった。そこでFIAが生み出したカテゴリーがグループSだった。
グループSは、ハイパワーになり過ぎた(開発コストも高騰し、安全性も危惧された)グループBの反省から、最高出力を300馬力に制限する一方で、ホモロゲーションに必要な台数を、わずか10台としたことで、より多くのメーカーの参戦を促すとともに、様々なアイデアを生み出すよう考えられていた。
ただし、グループBの発展形…というよりも究極形として考えられていただけに、アクシデントが続出したことで86年限りでグループBによるWRCを終焉させ、翌87年からはWRCの主役をグループAとすることが決定され、グループBの新たなホモロゲーションを受け付けないこと、さらにグループS(の構想)も中止となってしまった。しかしこのコンセプト(の一部)は97年に、WRカーとして蘇えることになる。
1986 Audi Sport Quattro RS002 スポーツAWDの元祖が提案したグループS
ラリーフィールドにアウディが持ち込んだスポーツAWDというコンセプトは、やがてはWRCマシンの必須アイテムとなっていった。そして同様にランチアが広めたMR(ミッドシップ・エンジンの後輪駆動)と融合し“ミッドシップにエンジンを搭載したAWD”がWRC(のグループBカテゴリー)におけるスタンダードとなっていった。スポーツAWDの元祖であるアウディはフロントエンジンのままながら重量配分を適正化し、またホイールベースを切りつめたり、とラリー・クワトロS1を極限までチューニングしたがやはり限度があった。そこでアウディは、グループS構想に則ったニュー・ウェポンを開発した。それがスポーツ・クワトロRS002。パイプフレームのミッド部分に5気筒20バルブの2.1リッターターボエンジンを搭載。
500馬力の最高出力は、樹脂製カウルを纏った軽量なラリーカーには充分過ぎるものだった。プロトタイプは完成したもののしかし、アクシデントが続いてグループBと、グループSの構想が消滅、スポーツ・クアトロRS002は実戦デビューを前にお蔵入りとなってしまった。アウディの公式記録によると生産台数は僅かに1台。インゴルシュタットのアウディ本社に併設されたアウディ博物館と、やはりドイツはジンスハイムにある自動車技術博物館でも展示されていた、とも伝えられるが、訪れた際には展示されておらず、いまだ出会えぬままアウディの広報写真を掲載(協力:アウディ・ジャパン広報)。
1985 Toyota 222D Gr.S FRを極めたトヨタが考えたミッドシップ4WD
スポーツAWDの元祖であるアウディが、フロントエンジンのAWDを究極まで突き詰めた末の、次の一手がスポーツ・クアトロRS002だったのと同様に、グループBをFRのセリカTC(ツインカム)ターボで戦い、FRを究極まで突き詰めたトヨタの、グループSカテゴリーにおける次の一手となったマシンが222D。
そもそも当初はグループBのラリーマシンとして企画されたのだが、やがてグループS構想が浮上すると、より究極のラリーマシンを目指して、グループS仕様で開発が進められることになった経緯がある。222Dは、トヨタ初のミッドシップ・スポーツカー(スポーティなパーソナルカー?)のMR2…初代モデルのAW11型をベースに、キャビン部分のモノコックの前後に、スチール製のモノコックに代えてパイプ・フレームを追加。
エンジンは、すでにラリーカーで定評のあったT系ではなく、ベースモデルに搭載されていたA系の兄貴分たるS系の2リッターツインカム・ターボ、つまり3S-GTEに載せ替えられていた。さらに4WDシステムも組み込まれており、究極のラリーマシンを名乗るに充分なスペックで仕上げられていた。
だがグループBが廃止され、グループSの構想も消えてしまい、活躍の場がなくなったことで開発もとん挫してしまった。現在も複数台が現存しているようで、TMG(ドイツに本拠を構えるトヨタのモータースポーツ専門子会社)に収蔵され、イベントなどにも登場しているとも聞くが、博物館で見かけたことはない。これもまたトヨタから広報写真をお借りして掲載した(協力:トヨタ自動車広報)。
1988?Lancia ECV(Experimental Composite Vehicle)2
研究実験車として残されたランチアのグループS
アウディがフロントエンジンのAWDを究極まで突き詰めた後にスポーツ・クアトロRS002を開発し、トヨタがFRを究極まで追求した末に222Dを開発したように、ランチアは037ラリーでラリーフィールドにミッドシップパッケージを導入し、さらにミッドシップ+AWDをグループB時代にデルタS4で実現していたから、グループSに進化させるに当たっては、何か新しいアイデア、これまでになかったパッケージなどなかったが、ライバルに一歩先んじていたデルタS4を正常進化させただけあって、シャシーの競争力は高そう
だった。
何よりも、このニューマシンが最も優れていたのはパワーユニット。1.8リッター足らずの小排気量から600馬力を生み出す、トリフラックス(Triflix)と命名されたツインターボ・エンジンだった。ただし実際にはグループSのレギュレーションに則って300馬力を発生するようにチューンし直されたのだが…。そしてケブラ―とカーボンファイバーのコンポジットで成形されたボディが、車両総重量930kgと驚くほど軽く仕上がっていたことも、大きな特徴となっていた。
ただし“予定外”だったのはグループS構想が消滅してしまったこと。それでもランチアは、この革新のニューマシンをお蔵入りさせることなくECV(Experimental Composite Vehicle)として完成させ、1986年のボローニャショーでお披露目している。その後、当該車両は紆余曲折をたどった末に、現在ではランチアのコレクションに収められ、何かしらのイベントの際には引っ張り出されることも少なくないようだ。写真は2013年の12月、イタリアはトリノにある国立自動車博物館において開催されたマルティニの、150周年記念の企画展にて撮影。