ついに日本から消えゆく名クロカン「三菱パジェロ」が残した功績とは (1/2ページ)

豊富なバリエーションで多くのユーザーに魅力を訴求

 一時代を築いた三菱のパジェロがついに2019年8月をもって、国内向けの生産を終える。海外向けは継続されるが、三菱だけでなく、日本を代表するクロカンでもあっただけに、非常に残念だ。今一度、その功績を振り返ってみよう。

 初代が登場したのは1982年のこと。それ以前にパジェロジープやパジェロIIというコンセプトカーが発表されているが、市販車とコンセプトは共通するものだった。このコンセプトこそが斬新で、それまでは4WD車といえば、産業用など仕事の道具という要素が強かった。それに対して、パジェロは無骨さをうまく残しながらも、ワイドボディやスーパーエクシードなどの豪華グレードも用意して、乗用車ユーザーにも強くアピールしたのは特筆すべき点だ。

 ちなみにライバルだったトヨタ・ランドクルーザーはこの当時、もう少し無骨なイメージで一線は画していた。しかし、パジェロは乗用車ライクなワゴンのみ。それに3ドアのショートボディをラインアップしていたのも、パジェロの強みと言っていい。また、2代目で登場した、Jトップと呼ばれるオープンモデルもランクルにはないバリエーションだった。

 そしてエンジンのバリエーションもじつに豊富だった。豊富すぎて、すべて紹介するのは難しいほどだが、ガソリン、ディーゼルともに名機揃い。たとえばガソリンでは3.5リッターV6はとてもパワフルかつトルクフル。かなりハイレベルな走りを楽しむことができたし、そもそもクロカンといえば、ディーゼルというのがお決まりなのに、ガソリンもしっかりと豊富にラインアップしていたのはパジェロの特徴でもある。


近藤暁史 KONDO AKIHUMI

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