ボックスティッシュ置き場もある衝撃のデートカーも登場
平成の元号が間もなく終わり、令和がスタートする。31年間続いた平成という時代はバブル景気の絶頂期と崩壊、阪神大震災や東日本大震災といった大規模災害、長かった不景気など、激動の時代であった。激動だったのは日本車の大躍進や次々と変わったユーザーの志向の変化など、時代を映す鏡とも言われるクルマも同じ。
そこで平成の終わりを期に、平成を駆け抜けたインパクトあるクルマを良かった方、悪かった方含めて振り返ってみたいと思う。平成元年からスタートした本企画もついに平成8年編となる。
■平成8年(1996年)ってどんな年?
病原性大腸菌O157に集団食中毒の発生が大きなニュースとなった。世相ではファッション業界で歌手の安室奈美恵さんの服装に影響を受けたアムラー、10代の女性がアムラーに近い服装を装うコギャルが流行した。
またポケットモンスター(ゲーム)の発売、前年のウィンドウズ95の発売によるパソコンの一般化によるWebサイト、携帯電話とPHSの契約者の急増、東京臨海高速鉄道りんかい線の開通、東京ビッグサイトのオープンといった東京臨海副都心の開発が進むなど、振り返ると現在に通じる事象の始まりを感じさせる1年だった。
1)トヨタ・メガクルーザー
災害時の救援や人命救助の際に活躍する陸上自衛隊向け高機動車の民生バージョンとして登場。全長5070mm×全幅2170mm×全高2075mmという小山のような巨大なボディに最低地上高420mm、デフロック付フルタイム4WD、取り回しを向上させるための4WS、ブレーキがホイールの中ではなくデファレンシャルのところにあるインボードディスクブレーキを持つなど、「和製ハマー」という異名がじつに相応しいスペックを備えていた。
価格は約1000万円と内容を考えれば激安で、今になると必要性はともかくとして「よくぞ民生バージョンとして市販としたものだ」と深く感心するクルマだ。
2)トヨタ・キャバリエ
「アメリカで日本車はよく売れて、日本でアメリカ車はほとんど売れない」という日米貿易摩擦を解消すべく、当時アメリカにGMとの合弁工場を持っていたトヨタがシボレーキャバリエの日本仕様として輸入販売したモデル。
当初年間2万台の販売目標が掲げられ、輸入車といっても「簡単に約束しないけど、決めた約束は守る」と言われるトヨタで販売されるクルマだけに、右ハンドル化に始まり、ウインカーとワイパーのレバーは日本で販売される日本車と同じ右ウインカー、左ワイパーに移設、中心価格帯は200万円以下、CMには所ジョージさんを起用するという万全の体制が敷かれた。
しかしフタを開けてみると、日本車なら当時トヨタ社内に4ドアセダンは同クラスのコロナやカリーナ、2ドアクーペも同クラスにセリカやカレンがあっただけに、ほとんどのユーザーは「トヨタ車を買えば済むじゃないか」とごく普通に考え、まったく売れず、5年間の販売計画が4年間で終了するという有り様だった。
キャバリエは「あれだけの販売力をもつトヨタがすべきことをしても売れなかった」という面が強く印象に残るクルマだった。
3)ホンダステップワゴン(初代)
1994年あたりまで苦しい状況下にあったホンダはクリエイティブムーバーと呼ぶ遅ればせながら開始したRV戦略でリリースしたオデッセイ、CR-Vの大成功で活気付いていた。そこにクリエイティブムーバー第3弾として登場した初代ステップワゴンは、当時商用車をベースとしていた5ナンバーハイトミニバンにおいて対照的なFFの乗用車ベースで登場。
FFの乗用車ベースとしたことで床の低さ、それに伴う室内の広さといったメリットは大きく、成功したホンダ車に共通する価格の安さもあり、今になるとそれほどできのいいクルマではなかったもののヒット車となった。また初代ステップワゴン以降の5ナンバーハイトミニバンはトヨタノア、日産セレナともに乗用車ベースに移行しており、この点でも大きな影響を与えた。
4)ホンダS-MX
クリエティブムーバー第4弾として登場したS-MXは初代ステップワゴンの全長を大幅に短縮した2列シートミニバンといった成り立ちで、ベッドのような厚みを持つフルフラットになるシートやボックスティッシュがピタリと入るトレイなど、デートカーの新しい形を提案。またローダウンと命名された車高(タイヤとフェンダーのクリアランス)を下げた仕様が自動車メーカーのカタログモデルでラインアップされたことも話題となった。
S-MXはデートカーや新しさだけでなく、乗降性の良さや室内の広さ、荷物がたくさん積めるといった実用性の高さもありなかなかの当初ヒット車となった。しかし2000年にトヨタがヴィッツをベースにS-MXの影響を受けたbBを低価格で登場してから販売は急降下し、2002年に残念ながら初代モデル限りで絶版となってしまった。