誰もが知っているあのクルマを作ったのは……
現役で活躍しているカーデザイナーは、まだ評価が定まっていない。だから第一線から離れたデザイナーのなかから、名デザイナーと呼べる人物と代表的な作品を選んでみた。
1)ジョルジェット・ジウジアーロ
クルマ好きならずとも知っている天才デザイナーが、イタルデザインを率いるジョルジェット・ジウジアーロである。若いときから存在を知られたカーデザイン界のビッグネームで、作品は自動車だけにとどまらない。カメラや時計、パスタなどのデザインも有名だ。
フィアットに入社して4年ほどデザイン部門で働いた後、1959年に名門カロッツェリアのベルトーネ社に引き抜かれ、21歳の若さでチーフデザイナーになっている。ここでアルファロメオのジュリアスプリントGTやフィアット800スパイダー、ディーノクーペ、マツダの初代ルーチェなどを手がけ、才能を開花させた。そして65年にカロッツェリア・ギア社に移籍し、チーフデザイナーとして敏腕をふるっている。ギア社での代表作は、いすゞ117クーペ、マセラティ・ギブリ(初代)、デ・トマソ・マングスタなどだ。
30歳になった68年、新境地を切り開くためにイタルデザイン社を設立。アルファロメオやフォルクスワーゲンに新しいデザインを吹き込み、アルファスッドやVWゴルフ&シロッコを生み出した。また、フィアットとも仲がよく、ウーノや初代パンダはその代表だ。スーパーカーのデザインも得意で、マセラティのボーラやメラク、BMWのM1、デローリアンなどを描いた。
日本の自動車メーカーから依頼された作品も多い。親密な関係を築いたいすゞ自動車に請われ、アッソ・ディ・フィオーレ(後のピアッツァ)や2代目ジェミニをデザインしている。また、スズキのフロンテクーペやL40系キャリイ、トヨタのパブリカ・スターレット、80系カローラ、初代アリスト、スバルのアルシオーネSVXもジウジアーロの作品だ。
ジウジアーロは端正な、まとまりのいいデザインを特徴とする。得意とするのは、ストレート基調にエッジを利かせた「折り紙細工」のような手法だ。シンプルな面に見えるが、構成は複雑だから量産のプレスできれいに生産するのは難しい。コンパクトカーからスーパーカーまで、あらゆるジャンルのデザインをこなす懐の深さが魅力である。
2)マルチェロ・ガンディーニ
ジウジアーロがベルトーネ社を去るとき、後任に抜擢されたのがマルチェロ・ガンディーニだ。彼も天才デザイナーで、60年代半ばから70年代後半までのベルトーネ社のコンセプトカーは、ほとんどがガンディーニの作品だった。大胆なフォルムのランボルギーニ・マルツァルはランボルギーニ・エスパータに、アウトビアンキ・ランナバウトはフィアットX1/9と名を変えて市販に移されている。が、彼の作品でもっとも知られているのは、ランボルギーニ・カウンタックとランチア・ストラトスだろう。
スポーツカーを得意とするが、シトロエンBXもガンディーニの作品だ。80年代にはルノーと契約し、乗用車だけでなく大型トラックもデザインした。日本の自動車メーカーとの接点は少ないが、93年の東京モーターショーに参考出品したニッサンAP-Xは、ガンディーニがデザインしたものである。
3)エルコーレ・スパーダ
エルコーレ・スパーダもザガートの黄金期を支えた気鋭のデザイナーだ。60年にカロッツェリア・ザガートに入社し、22歳の若さでアストンマーチンDB4GTザガートをデザインした。これに続き、アルファロメオ・ジュリエッタSZやジュリアTZ、ホンダCR-Xに影響を与えたアルファロメオ・ジュニアZなどをデザインしている。
オスカやランチアのデザインも手がけた。I.DE.A社に移ってからはアルファロメオ155やフィアット・ティーポなどに加え、日産から依頼されてミストラルの3ドアモデルの基本デザインをまとめている。
4)ブルーノ・サッコ
ファミリーカーのデザイナーとして、自動車史に名を残すのは、これまたイタリア生まれのブルーノ・サッコだ。今につながるメルセデスベンツのフォルムを決めたデザイナーで、セダンだけでなくAクラスの開発にもタッチしている。サッコは、戦前はベンツ500Kや540Kなどのスポーツモデルを、戦後はガルウイングドアの300SLを担当したフリードリッヒ・ガイガーに鍛えられ、その後継としてメルセデスベンツのスタイリング・デザイン部門のチーフとなった。
最高傑作は82年に発売したベンツ190Eだ。コンパクトサイズだが、気品がある。また、今なおファンの多いW124系のEクラス(85年)もサッコが指揮をとりデザインした。サイドパネルの下半分に装着した幅広のプロテクションモール(クラッディングパネル)は「サッコプレート」と呼ばれ、人気になっている。また、燃料電池自動車も想定した前輪駆動のコンパクトカー、Aクラスも彼の作品だ。
5)園 勲夫
日本は個人名を出すことを嫌うため、なかなか名デザイナーは生まれないし、名も公表されない。が、センスのいいデザインを描き続けたのが日産でエクステリアデザインを担当した園勲夫である。記憶に残る名車を数多く生み出してきた。69年に日産に入社した園は、86年にF31系のレパードを、89年にはZ32系のフェアレディZ300ZXを送り出している。フェアレディZのデザインは、世界中のデザイナーに衝撃を与えた。30年後の今見ても美しいデザインだ。