この記事をまとめると
■1966年に発表されたホンダN360はスバル360から首位を奪うほどの人気を得た
■創業者の本田宗一郎氏が考えた5つの項目を具現化した
■アメリカではホンダN360の操縦性に関するリコールによって悪評が立った
本田宗一郎氏の理想のクルマだったホンダNシリーズ
ホンダN360は、1966年10月に発表された。たちまち人気車種となり、それまで軽自動車販売で首位の座にあったスバル360を超えたのである。
2輪だけでなく4輪へ進出をはかるに際し、ホンダはスポーツカーとトラックの開発からはじめた。
スポーツカーは、2輪の開発と販売においても、レース活動を通じホンダの高性能ぶりを示した経験に基づいている。トラックについては、本田宗一郎とともに創業期のホンダを支えた専務の藤澤武夫が、「世のなかの自動車需要はまだ商用車が主力である」と語った時代背景による。
ホンダT360のフロントスタイリング画像はこちら
次に、ホンダの4輪参入を本格稼働させたのが、N360であった。本田宗一郎は、人間中心の考えから「自動車が小型になっても人間は小型にならない」といい、「いままで作られた軽自動車は馬力が足りず日本の道路に適していない」とも語ったとされる。エンジンの高性能化は、単に速さを求めたのではなく、追い越しなどが自在にできることで事故を減らすことができると考えたからだ。
もちろん、あわせて「馬力は感情を支配するものである」とも述べている。これらが、「作って喜び、売って喜び、買って喜び」という、3つの喜びを求めるホンダの企業姿勢につながっていく。
ホンダN360のフロントスタイリング画像はこちら
本田宗一郎の考えを具現化したのがN360で、設計の概念は、求めやすい価格/運転のしやすいクルマ/動力性能にゆとりがある/高速道路も視野に安全性の高いクルマ/長距離移動しても快適なスペースという、5項目だった。
そして、当時のほかの軽自動車に比べて数万円安い車両価格となる31万3000円で売り出した。この価格設定について本田宗一郎は、「我々は1億の日本人だけを相手に作っているのではなく、世界の人たちにも愛されなければならない」としている。本格的量産市販の第一弾であるN360のときから、ホンダは世界を見ていた。