この記事をまとめると
■「トラック野郎」のヒットをきっかけに愛されてきたデコトラ
■現在はデコトラに対して否定的な声も少なくない
■なぜデコトラは避けられるようになってしまったのか考察する
クレーマー気質の人が増加
古くから日本独自の文化として根付いてきたデコトラ。1975年から1979年にかけて公開された映画「トラック野郎」の大ヒットにより広まったデコトラは、現在でも変わることなく発展し続けている。
巷ではデコトラが減ったという声が聞こえるが、それはデコトラのことをわかっていない人の意見。実際、昭和の時代から比較しても、デコトラの数そのものは間違いなく増えている。全国では毎月のようにデコトラのイベントが開催されているのだが、500台以上のデコトラが集まる例も少なくない。昭和の時代では200台も集まればイベントが大盛況だったとされたことを考えると、増えていると断言できるだろう。
では、なぜデコトラが減ったといわれるのだろうか。
それは単に、派手な装飾を施したトラックが少なくなったということにほかならない。派手なデコトラはプライベート車として活躍するようになり、仕事をするデコトラはシンプルで美しさを求めるようになった。プライベートなデコトラは走行エリアが限られており、その大半がセカンドカーであるため、見かけることが少ないのは道理である。そして、シンプルなデコトラのことを一般の人たちはデコトラだと認識していないため、デコトラが減ったと感じてしまうのだ。
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昭和や平成初期の時代では、飾ったトラックで仕事をすることが世間的にも認められていた。むしろデコトラで駆けつけると荷主や顧客にも喜ばれ、「もっと飾れ」とハッパをかけられることも多かった。それが、なぜ現代では敬遠されるようになったのだろうか。その明確な理由は不明だが、やはりエンドユーザーの声を気にしすぎているという感は否めない。
景気のよかった昭和や平成初期の時代では、日本国民にも余裕があった。懐はもちろん、心にもゆとりがあったのである。そのような余裕が遊び心にもつながるのだが、景気が悪くなるとともにゆとりもなくなった。そしてクレーマー気質の人が台頭するようになり、荷主や顧客もエンドユーザーの声に左右されるようになったのである。