この記事をまとめると
■日産はグループCレースに参戦していた
■打倒ポルシェを掲げてグループCカーの頂点を極めたマシンが「R92CP」だ
■現役のレーサーたちが恐怖するほどの圧倒的性能を誇っていた
レジェンドレーサーまでが恐怖したCカー
富士スピードウェイが2005年にリニューアルされて、現在の全長4563mのコースになる前、Bコーナーを立ち上がると長い高速コーナーが続き、そのまま1500mのロングストレートにつながっていた、全長4400mの旧コースの時代のコースレコードは、1分14秒088。平均時速にすると217.201km/h!
この驚異的なスピードをいまから32年も前に記録したのが、「怪物」といわれた日産のグループCカー、R92CPだ。
1982年にはじまったグループCレースは、車両寸法や最低重量、燃料タンク容量と燃料使用量の制限こそ設けられていたが、エンジンは量産メーカー製であれば、排気量も自由、ターボ・NAも自由、レシプロでもロータリーでもOKという、非常におおらかなレギュレーションで、設計者の自由度化高く、各社の設計哲学が反映されやすく、創意工夫が生かしやすいカテゴリーで人気を博した。
1000kmや6時間耐久、ル・マンとなると24時間レースと、耐久レースのカテゴリーだが、燃費について厳格な決まりがあるだけで、エンジン出力については無制限でパワーを上げることが許されていた特異なレース。
そのため「時速400km/hの燃費レース」と称されていた。
当初はポルシェの傑作マシン956とその後継車の962Cの独断場で、各メーカーは「打倒ポルシェ」を合言葉に、WECやJSPCに参戦し、日産、トヨタ、マツダも、総力を挙げてワークス体制で参戦し始めた。
そして、国産勢がようやくポルシェに追いつきだしたのが1990年代に入ってから。なかでもグループC時代に頂点を極めたモンスターが、日産のR92CPというわけだ。