この記事をまとめると
■トヨタが独自開発し1959年に初登場した自動変速機が「トヨグライド」だった
■トヨグライドは1969年にはトヨタ2000GTの後期型に3速ATとして採用された
■MTがスポーツカーの証とされていた時代の技術に対するトヨタの挑戦だった
トヨタ初の自動変速機はタクシー専用車に搭載
トヨタが、独自開発した自動変速機(AT)が、トヨグライドだ。タクシー専用車種としてクラウンより安い価格で販売されたトヨペット・マスターの、商用車にあたるマスターラインに、1959年に初搭載された。
現在のトルクコンバーターと遊星歯車を組み合わせたATと同じ機構で、ドライブ(D)とロー(L)の2段変速が可能だが、通常は2速にあたるDで走り、より力が必要な走行状況で1速にあたるLに切り替えて走る仕組みだった。
マスターラインのあと、クラウンにも採用される。そして、1963年には全自動2速ATへ進化している。
トヨグライドが注目を集めたのは、初代クラウンの開発と同じように、国産の力で実現するとした当時のトヨタ(当時はトヨタ自動車工業)の姿勢である。ただし、機構の詳細は米国ボルグ・ワーナー社の特許に抵触する可能性があり、トヨタと製造を担うアイシン(当時は愛知工業)、そしてボルグ・ワーナーの3社協議により、日米合弁のアイシン・ワーナー社を設立し、AT専門メーカーとして事業を進めていくことになる。
それとは別に、国産のスポーツカーとして誕生したのが、トヨタ2000GTだ。1967年に登場し、1969年に後期型へ移行する。この後期型で、トヨグライドが搭載されたのである。それは、3速ATであった。
今日では、2ペダル操作のスポーツカーは珍しくない。しかし当時は、マニュアルシフトでの運転がスポーツカーの証と思われていた。そこにトヨグライドの車種が追加されたことは、単に運転を容易にするだけでない、トヨタの技術に対する挑戦があったのではないか。
同時にまた、新しい価値の提案というスペシャルティカーの構想の芽生えでもあったかもしれない。というのも、2000GTの誕生3年前となる1964年に米国でフォード・マスタングが登場し、爆発的人気を得たからだ。マスタングは、乗用車の部品を活用しながら、V型8気筒エンジンを搭載する高性能車も選べた。
さらに、廉価な車種に好みの装備を追加する、フルチョイスシステムをマスタングは導入していた。この発想は、1970年に新登場するトヨタ・セリカに応用される。
国産技術にこだわり、日産自動車と競合しながらクラウンで地位を固め、世界的なカローラという価値やその間を埋めるコロナの人気などを含め、「技術の日産、販売のトヨタ」と評され、技術について見逃されがちな傾向のあったトヨタではあったが、国産技術によるATのトヨグライドと、それを世界に誇る日本のスポーツカー、2000GTにも搭載車種を設けるなど、技術と商品企画の両面で留まることのなかったトヨタの当時の経営が、今日の世界一の自動車メーカーという地位を引き寄せたのではないだろうか。