この記事をまとめると
■サバンナは当時ロータリー拡販を図っていたマツダの5車種目のロータリー搭載車
■ツーリングカーレースで無敵だったスカイラインGT-Rの連勝を食い止めた
■ロータリーエンジンを世界に広めたRX-7へとつながっていった
ロータリーの底力を世に知らしめた立役者
マツダ・サバンナは、1967年に発売されたコスモスポーツ以来、5車種目のロータリーエンジン車だ。1971年に発売されたモデルで、輸出車名はRX-3である。
コスモスポーツに次いで、ファミリア、ルーチェ、カペラと、ロータリーエンジン車は搭載車種を増やし、さらにサバンナの誕生に至る。当時のマツダが、いかにロータリーエンジン車の拡販に力を入れていたかがうかがえる。
サバンナを語るうえで忘れることのできないのが、ツーリングカーレースにおいて日産スカイラインGT-Rの連勝を止めたことだ。GT-Rは、初戦以降50回もの連勝を積み重ね、破竹の勢いで、無敵の存在であった。そこに、打倒GT-Rとして挑んだのが、サバンナである。
サバンナの前、カペラのロータリーエンジン車もレースに出場していた。だが、GT-Rを打ち負かすほどの敵にはなりえていなかった。カペラとほぼ同じ車体寸法でありながら、若干、全長が短く車幅は広く、そして車両重量の軽いサバンナは、より精悍な外観とともに、速そうな印象を見た目にも与え、今度こそGT-Rの競合となりえるのではないかとの期待を高めた。
発売と同時に、モータースポーツ用部品の開発がはじめられ、同年秋の富士グランドチャンピオンレースの前座で登場した。そして、翌年5月の日本グランプリ、ツーリングカーレースでサバンナは1~3位の表彰台を独占し、GT-Rの勢いを止めたのである。
※写真はレプリカ
それほど高性能でありながら、GT-Rに比べ身近な価格であったこともあり、俄然、注目を集めることになった。というのも、日本グランプリでの優勝を記念し、それまでコスモスポーツ以来使われてきた10A型ロータリーエンジンに加え、排気量を拡大した12A型を搭載したサバンナGTを車種追加し、変速機も5速にして高性能ぶりを商品性で明らかにしたのである。
その後、サバンナは市販車を基にしたノーマルカーレースでも力を発揮した。小排気量クラスでの日産サニーB110のように、大排気量クラスではサバンナが勝つために選ぶべき車種という位置づけになった。
日本人初のレギュラーF1ドライバーとなった中島 悟は新人時代、サバンナで鈴鹿シルバーカップのチャンピオンになったことが、のちの躍進につながった。初戦はファミリアロータリークーペで出場したが、サバンナには到底勝てず、サバンナに乗り換えてのタイトル獲得であった。
それだけの潜在性能を示しながら、サバンナ=RX-3は、初代のみで歴史を終える。そして、初代RX-7の誕生に至る。
マツダは、コスモスポーツ以来ロータリーエンジン車を拡充し、拡販に力を注いできたが、ここで改めて、小型で高性能なロータリーエンジンの特徴を最大に活かすことのできるふたり乗りスポーツカー、RX-7でロータリーエンジンの力を世界に知らしめる挑戦に乗り出したのであった。