軽なのに4つのルーフバリエーションが楽しめる! スズキ・カプチーノは「一部の富裕層」しか味わえない喜びを庶民に提供した偉大なる1台だった

この記事をまとめると

■スズキ・カプチーノは1991年に誕生した

■ルーフをクローズドからオープンまで4種類に展開できた

■マイナーチェンジなどを経て1998年1月まで生産された

スズキが手掛けた名オープンスポーツ

 スズキ・カプチーノは、1991年に発売された軽自動車の2人乗りオープンスポーツカーだ。

 オープンとはいえ、クローズドとする場合は幌ではなく、屋根は左右に分割できる樹脂でつくられおり、ハードトップとなるクローズドのほか、Tバールーフ、屋根は外すがリヤウインドウを残したタルガトップ、そしてリヤウインドウを収納することでのオープンというように、4つの選択肢があった。これは、量産車では世界初のことである。

 1989年の東京モーターショーに参考出品され、91年の発売となった。偶然にも、91年には、ホンダから軽自動車のミッドシップオープンスポーツカーとなるビートが発売になり、カプチーノとよく比較された。とはいえ、どちらが良し悪しではなく、軽自動車にスポーツカーが選択肢になる贅沢な時代で、まさにバブル経済の恩恵のひとつといえた。

 カプチーノは、ダブルウイッシュボーン式のサスペンションをもつ後輪駆動で、エンジンは、アルトワークスと共通のガソリンターボであった。最高出力は、軽自動車の規制限度となる64馬力だ。また前後重力配分は、51:49とほぼ均等で、スポーツカーとして文句ないバランスを実現していた。

 1980年代後半になると、ダイハツ・ミラターボを皮切りに軽自動車の高性能化が動き出し、スズキからはアルトワークスが登場する。さらに、2人乗りスポーツカーのカプチーノが加わることにより、高性能軽自動車の魅力を増大させた立役者といえる存在だ。

 車両重量がわずか700kgの軽量車体に、最高64馬力の直列3気筒ガソリンターボエンジンは、過激ともいえる発進加速をもたらし、痛快な走りで魅了した。

 自然吸気エンジンでミッドシップというビートとはまったく違うスポーツカーの味をカプチーノは体現しており、ビートが95年に先に生産を終了したのに対し、途中でマイナーチェンジを行い、オートマチック車を追加するなどしながら、カプチーノは98年1月まで生産された。

 2人乗りのオープンスポーツカーは、1989年のマツダ・ロードスターの誕生で、世界的な流行を復活させることになった。それに呼応するかのように、素早く軽自動車でのオープンスポーツカーを実現したスズキとホンダは、バブル経済の恩恵とはいえ、軽自動車の魅力を拡張する意気込みを象徴した。

 さらに、カプチーノは消費者が懸念する幌の耐久性に関する不安をハードトップで解消し、かつ、Tバールーフやタルガトップといった輸入車が付加価値としてきた手法を採り入れ、憧れを何倍にも増大させた。

 その後、ハードトップをオープンにするバリオルーフが、メルセデス・ベンツSLKで96年に現れる。91年に登場したカプチーノは、世界的にみてもオープンカーの多様な価値を先取りしていたといえるのではないか。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター

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乗馬、読書
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