メーカー選手権のヒーローたち【フェラーリ・世界スポーツカー選手権編その2】 (1/2ページ)

1962年からの国際マニュファクチャラーズ選手権では量産車が主役に

 世界スポーツカー選手権として1953年に始まった、スポーツカー/レーシングカーによる選手権は、62年には国際マニュファクチャラーズ選手権へと移行する。その名称からも分かるように、それまで以上にマニュファクチャラー(車両製造者)=メーカーの戦いが色濃くなっていった。

61年までの世界スポーツカー選手権におけるフェラーリの活躍は、前回紹介したとおりだが、今回はその“続編”として、国際マニュファクチャラーズ選手権、そして68年からの国際メーカー選手権を経て72年には世界メーカー選手権へと発展して行ったスポーツカーによるメーカー選手権におけるフェラーリの活躍を、当時のマシンを通して振り返ってみることにしよう。

フェラーリ

 新たに始まった国際マニュファクチャラーズ選手権は、それまで主流だったスポーツカー(市販のロードゴーイングモデルからは大きくかけ離れたスポーツ・プロトタイプ)を締め出してGTカー(量産のロードゴーイングカー)を主役とし、排気量別に3つのクラスに分け、それぞれのクラスにタイトルを与えることになった。小排気量のスポーツカーを手掛けるメーカーには朗報だったが、レース主催者は、この改定によってレースの迫力が減り、観客動員にも影響がある、と反対。

 実際にル・マン24時間では“エキスペリメンタル・クラス”として、最低地上高や燃料タンク容量に制限が加えられたものの、それまでのスポーツ・プロトタイプが参加を認められ、総合優勝を争うことになった。

 フェラーリは、前年の優勝マシンであるテスタロッサTR61をベースに、エンジンを3リッターV型12気筒から4リッターV型12気筒に換装した330LMや、ミッドシップ・レイアウトの先駆けとなった268SPなどで総合優勝を狙うとともにGTクラスには250GTOを投入、2クラス制覇に挑戦。(車名の250、268などは1シリンダーあたりの排気量を示す)

 その目論見は実現し330LMに続いて2台の250GTOが24時間を走り切り、通算最多勝記録となる6勝目に、表彰台独占で華を添えることになった。そして国際マニュファクチャラーズ選手権においても250GTOがシリーズを席巻。オーバー2リッタークラスで9戦全勝。記念すべき初代の国際マニュファクチャラーズ・タイトルを奪い、翌1963年には2連覇を果たしている。


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