「パンテーラ」は知ってるけど「グアラ」「ビグア」って? デ・トマソのパンテーラ後を支えたクルマとは (1/2ページ)

この記事をまとめると

◾️デ・トマソのヒット作であったパンテーラの後継モデルがグアラだ

◾️バルケッタ・クーペ・ロードスターの3種類のボディがグアラには存在した

◾️グアラはあまりに高価だっため量産モデルのビグアも併せて生産された

デ・トマソの威信にかけて誕生したグアラを振り返る

 デ・トマソにとって、その黄金時代はいつだったのかと問われれば、やはり多くの人は日本でも人気のミッドシップスポーツ、パンテーラが生産されていた時代と答えるに違いない。

 そのパンテーラは、1970年から24年間にわたり、トータルで7298台が生産されたヒット作となったが、デ・トマソはその後継車として1994年になると「グアラ」と呼ばれるニューモデルを発表する。まずはこのグアラが誕生するに至った背景を簡単に解説しておこう。

 グアラは、そもそもマセラティが1990年代初頭に提案したチュバスコを原案としたスポーツカーだった。かのマルチェロ・ガンディーニのボディデザインに、当時マセラティの親会社であったデ・トマソとの関連性を物語るかのようなバックボーンフレームを採用した基本骨格を特徴としていた。

 マセラティは当然のことながら、チュバスコをプロダクション化する計画をもち合わせていたが、それは当時、デ・トマソとともにマセラティの経営にも大きな影響を及ぼすようになっていたフィアットの意向でキャンセルされてしまう。これはおそらく、すでにフィアットの傘下にあったフェラーリとの競合を避けるための判断ではなかったのかというのが一般的な推測だった。

 だが、デ・トマソの総帥アレッサンドロ・デ・トマソは、このチュバスコをベースに、ふたつのニューモデルを生み出すことに成功した。ひとつはワンメイクレース用の「マセラティ・バルケッタ」、そしてもうひとつは今回の主題である自社ブランドの新型車「グアラ」である。

 かつてアレッサンドロの祖母が経営した牧場で使用された焼印を、その母国であるアルゼンチンを意味するブルーとホワイトのベースにあしらったエンブレムは、グアラで再びその存在を世界に強くアピールすることになったのだ。

 最初に誕生したグアラは、マセラティ・バルケッタのデザインによく似た、フロントウインドウやリヤビューミラーさえオプション設定とされたスパルタンなバルケッタで、その後にクーペとロードスターが続いて製作されている。

 つまり、デ・トマソ・グアラには、3タイプのボディバリエーションが最終的には出揃ったことになる。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
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