この記事をまとめると
◆中央道の一部はかつて「2車線の対面通行・追い越しも可」という構造だった
◆追い越しをかけたクルマのせいで当時は大事故が多発していた
◆正面衝突事故が多発したせいで“高速道路”の4文字が外れたと言われている
中央道はめちゃめちゃ危ない道路だった
東京都杉並区の高井戸ICから長野県の諏訪市を経由して、愛知県小牧市の小牧JCTまで通じる、中央道こと「中央自動車道」。まぁその本線に加えて、山梨県大月市で分岐して富士吉田ICまで続く富士吉田線もあるわけだが、それはそれとして、日頃から中央自動車道をフツーに安全に利用しているという人は多いだろう。
だが、いまでは安全で平和な中央道も、その昔は「暫定2車線区間が長く、なおかつそこは追い越し禁止でもなかったため、正面衝突が多発する超危険なハイウェイ」であったらしい。
マジか? と思って調べてみたら、たしかにそのとおりであった。そして中央道が「対面通行で追い越しも可能だった時代」に、筆者は父の運転により、その区間を通行していた可能性が高い。あのとき死ななくてよかった……と神様に感謝しつつ、デンジャラスだった時代の中央自動車道について少々記してみたい。
「敗戦後の日本を復興するため、東京―神戸間を結ぶ高速道路を建設する」という構想に基づいて起案された(現在でいう)中央自動車道は、当初案では、東京から南アルプスをトンネルでぶち抜き、最短距離にて名古屋へ向かうことになっていた。
だが、東京―名古屋間は「静岡県側の海岸ルート(現在の東名)を採るべし!」という意見も強く、南アルプス貫通ルートは技術的にも無理があったため断念。結果として現在の「諏訪回り(北回り)」に変更され、段階的に部分開通を重ねていった。