新首都名「ヤマト」! 総費用4兆円! かつて存在した東京湾をほぼ埋める「ネオ・トウキョウ・プラン」の衝撃

この記事をまとめると

■1959年に東京湾の3分の2を埋め立てる「ネオ・トウキョウ・プラン」という計画があった

■「ネオ・トウキョウ・プラン」実現には約4兆円がかかるとされ実行されることはなかった

■「ネオ・トウキョウ・プラン」のなかには東京湾アクアライン構想も入っていた

「ヤマト」という首都ができていたかもしれない都市計画

 各地にはさまざまな再開発や都市計画がある。そのなかでも超が付くほどのビッグプロジェクトが存在した。舞台となったのは東京湾で、そもそも東京を中心とした首都圏の拡大、人口増大に合わせて江戸時代から埋め立てが行われてきた。東京に馴染みのない方にはピンとこないかもしれないが、比較的新しいところでは、JR東海道線が通るところが海岸線で、江戸時代から徐々に埋め立てを進めて、現在はかなりの内陸部となっている。

 超が付くプランはそんな生っちょろいレベルではなく、なんと東京湾の3分の2にあたる、2億坪を埋め立てて土地にしてしまおうというもの。残りの3分の1は東京湾の入口も含んでいるので、実質的に東京湾全部を埋め立て。その名も「ネオ・トウキョウ・プラン」。完成した暁には、新首都として名前は「ヤマト」とされた。

 発表されたのは1959年、昭和34年のことで、戦争のダメージから立ち直って高度経済成長が始まった時期にあたる。つまり、これから爆発的に拡大・増大する産業、交通、人口などに対応するのが目的で、この提案を行ったのは、産業計画会議と呼ばれる民間のシンクタンク。代表は日本の電力王と呼ばれた松永安左エ門で、民間とはいえ政財官学の代表も参加していたので、実際は準公的なものであった。実際、このネオ・トウキョウ・プランをまとめたのは委員の加納久朗という人物で、日本住宅公団の初代総裁を努めた人物だ。

 勧告という形で16もの計画が発表され、なかには国鉄民営化や高速道路整備など実現したものもいくつかあったものの、当然、ネオ・トウキョウ・プランはその壮大さゆえ実現はしなかった。

 具体的に見ていくと、東京湾を埋め立てたところに工場地帯、貿易センター、官公施設を建設して、土地不足を一気に解消。当然、交通関係も重要になるため、飛行場を建設したり、高架や地下式で高速道路を建設したり、東京湾を囲む8の字型の環状高速もプランに含まれていた。この環状は現在のアクアラインにも通ずるもので、すべてが夢想レベルではなかった。

 もちろん実行に移されることはなかったが、官民で会社を設立して費用は当時の金額で4兆円! 調査費用ですら40億円とされたので、実行できるわけはなかった。一部は現在に通ずる部分があるとはいえ、日本が世界的にも奇跡的とまでいわれた、恐ろしい勢いの経済復興を背景にした打ち上げ花火といっていいだろう。


近藤暁史 KONDO AKIHUMI

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