この記事をまとめると
■「ホシノインパル」は「日本一速い男」こと星野一義氏が立ち上げたブランドだ
■「D-01シルエット」というホイールが大ヒットした
■現在は世田谷区にショールームを構えている
クルマ好きなら誰もが知る「ホシノインパル」とは
「ホシノインパル」。日産車のファンにとって、その社名は日産のワークスチーム、NISMOに準じる信頼と実績を誇るアフターパーツのブランドだ。
創業者は「日本一速い男」と称された、元日産ワークスのレーシングレジェンド=星野一義。
その星野が1980年に、義弟でのちにホシノレーシングの代表になる金子 豊と設立したのが、この「ホシノインパル」だ。
当時、星野は32歳。1975年と1977年に全日本F2000選手権、1978年に全日本F2と富士GCでチャンピオンになり、すでに「日本一速い男」としての地位を固めつつあったが、先輩ドライバーたちを見ていて、「トップドライバーでいられるのはあと数年(30代半ば)。引退後のことを心配し、何かビジネスを……、と考えたのが、クルマのアフターパーツを手がける「ホシノインパル」だった。
ホシノインパルの最初の製品はホイール。大手ホイールメーカーのエンケイと業務提携を結び、生産を委託。独自デザインのホイールのリリースを開始する。
しかし、最初の2年間は鳴かず飛ばずで、星野自身もレースの合間を縫って、全国のディーラーや問屋、カー用品店を営業してまわったが、売り上げは低空飛行のままだった……。
そんなホシノインパルに転機が訪れたのは、1982年。人気のあった「富士スーパーシルエットシリーズ」に星野が「ニチラ シルビア スーパーシルエット(S110)」で出場し、そのマシンにインパルのオリジナルホイール「D-01シルエット」を履かせたことで、「D-01シルエット」が大ヒット。
1カ月で約2万本も売れるスーパーセールスを記録し、ホシノインパルの経営が軌道に乗り出す。