この記事をまとめると
■1993年にマツダの中核を担うモデルとして登場したのがランティスだ
■最上級グレードとして「タイプR」を設定していた
■「喧嘩レース」といわれたJTCCにもワークス体制で参戦したが目立った戦績は残せなかった
「タイプR」はホンダの専売特許ではない
「Lantis(ランティス)」という単語を見て、何を思い浮かべるだろうか。
Googleで検索すると、最初に出てくるのはアニソンやゲームミュージックなどで知られる音楽レーベル「ランティス」で、当サイトWEB CARTOP内で検索しても、プジョーやフィアットなどのブランドを抱えるイタフラ系巨大メーカー「ステランティス」に関連した記事がヒットするばかりとなっている。
しかし、ニッポンのクルマ好きであれば、「ランティス」といえばかつてマツダから発売されていたモデルを思い浮かべる人が多数派だろう。
完全なるブランニューモデルとして「ランティス」が登場したのは1993年の中頃。全長4.3mに届かないクーペ(5ドアハッチバック)と同4.5m程度のセダン(4ドア)とふたつのボディをラインアップした。どちらも全幅は1695mmで5ナンバーに収まるサイズ、いわゆるCセグメントで、ブランドの中核を担うモデルとして生み出されたといえる。
この時代、新車開発には最低でも4年はかかっていたことを考えると、開発が始まったのは、日本がバブル経済に沸き立っていたまさにそのときだと想像するに難くない。そう思えば、フロントタイヤを駆動するエンジンとして1.8リッター直4のほかに、2リッターV6を用意したのも納得だ。V6エンジンの最高出力は170馬力と、1990年代としては十分以上にパワフルで、「国産FF最速」との呼び声も高かった。
しかも、V6エンジンに5速MTを組み合わせた最上級グレードの名前は「タイプR」。マツダの自信作だったのだ。