若き日にヨーロッパ中を走りまわったルノー5が崖下へ…… 【ドラマチックな愛車との別れ 石橋 寛編】 (1/2ページ)

この記事をまとめると

■筆者が体験した廃車エピソードを紹介

■モナコへF1観戦に行った際に谷底へ車ごと落ちてしまった

■その後の修理費の折り合いがつかず泣く泣く廃車にせざるを得なかった

ドイツ留学時代に欧州サーキットを巡ったルノー5アルピーヌ

 大好きだったクルマを廃車にしてしまった経験、残念ながら一度だけあります。すでに40年近く前の出来事ですが、とても悲しかったこと、心から後悔したことはいまでも心の奥底に残っています。もっとも、そのクルマを思い出せば独特の乗り心地や、痛快なエンジンレスポンスも同時によみがえるもの。時間の経過とともに悲しみは和らぎ、いまでは「同じクルマがあったら、また乗ろうかな」などと前向きな気持ちもないわけでもありません。

 筆者はドイツに留学していたのですが、裏口入学した大学はサボってばかりいました。勉強がイヤだったというより、F1やスポーツカーレースを観てまわりたかったわけで、毎週末ドイツ国内はもとより、フランスやベルギー、あるいはイタリアまで出かけていたのです。

 最初のうちは学生向けのユーロパスで電車を乗り継いでいたのですが、ヨーロッパでもサーキットというのはたいてい交通不便。で、地元のガソリンスタンドで売りに出ていたミニ1000をおよそ20万円弱で手に入れたのですが、吸気系パーツが純正でなかったため、最高速は100km/h程度というポンコツ。ご想像のとおり、アウトバーンでは使い物にならなかったのです。ちなみに真冬のアウトバーンを走っていたらエアクリーナーのなかが凍結してエンスト、まさに死ぬかと思った瞬間でした。

ドイツのアウトバーンの風景

 で、ポンコツをクラスメイトのボンクラに高値で売りさばくと、次はちゃんとしたクルマ屋で探しました。ドイツなのにフランス人のババアが店番をしていて、30万円ほどの予算を伝えると「あんた、ラッキーよ! ちょうどいいのがあるんだわさ」と満面の笑み。これ、後々のトラブルフラグでもなく、珍しいことにホントにいいクルマだったのです。

 近所のガレージまでババアと一緒に歩いていくと、シャッターの前にちんまりと止まっていたのは真っ白なルノー5アルピーヌでした。1976年デビューですから、その当時で10年落ちくらいでしたか。で、ババアがやにわにバッテリーにジャンピングケーブルをつないでエンジンをかけると、なんだか調子の良さそうな音。

 運転席に腰かけると、バケット風のシートが座り心地いいこと! ババアを助手席に乗せて、ガレージの近くを試乗した際「ガス! ガス! ガス!」と煽られまくったこと、いまでも忘れられません。なんのことはない、中途半端な回転数だと調子悪かったのでしょうね。

 それでも、ミニと違って最高速も180km/h以上でしたから、ずいぶんと役に立ってくれました。フワフワとしたピッチングも少なくないのに、肝心な場面では腰砕けにならない足まわりや、セッティングの出てなさそうなウェーバーのキャブでも吹けてくれるOHVエンジンなど、大いに気に入っていたのです。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

文筆業

愛車
三菱パジェロミニ/ビューエルXB12R/KTM 690SMC
趣味
DJ(DJ Bassy名義で活動中)/バイク(コースデビューしてコケまくり)
好きな有名人
マルチェロ・マストロヤンニ/ジャコ・パストリアス/岩城滉一

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