この記事をまとめると
■ホンダに白い作業着をほぼ100%納入する山本被服が創業100周年を迎えた
■山本被服が作業着としてオーバーオールを日本に持ち込んだ
■山本被服100周年の記念行事としてホンダの鈴鹿製作所を見学
白い作業着を作る山本被服はホンダより長い歴史の100周年
2023年9月、75周年の節目を迎えたホンダは、創業当時から工場では白い作業着を着ることが義務付けられてきました。以前に紹介したように、そこには創業者である本田宗一郎さんの哲学がありました。
そして、その白い作業着を1993年からホンダに納入を開始し、いまでは国内全製作所(工場)のほぼ100%に納入するまでになった山本被服は、今年で創業100周年を迎えています。今回は100周年を迎えた山本被服に注目していきます。
山本被服を創業した初代社長は、大正時代に職を求めてアメリカに渡って炭鉱夫からスタート。努力の甲斐あってホテル経営するまでになると、今度は日本に帰って何か企業を起こしたい、と考えるようになったと言います。ここで初代社長は、炭鉱夫時代に使っていた作業服……ジーンズのオーバーオールに目を向けたことが山本被服の第一歩に繋がります。
初代社長は1923年(大正12年)にロサンゼルスでスターオーバーオールカンパニーを設立。これが山本被服の創業となりました。そして3年後の1926年(大正15年)、アメリカにいた会社幹部とともに機械のすべてを日本に持ち帰り、静岡県の沼津市において合資会社山本被服製造所を設立しています。
いまでは若者にファッションアイテムとして人気のあるジーンズのオーバーオールは、こうして作業服として日本国内に持ち込まれることになったのです。ちなみに、この頃の日本では“工業的”に作った作業服というものは存在しておらず、民間企業として日本初の工業被服工場(大阪被服組合新聞調べ)となりました。
山本被服製造所は、昭和に入って山本被服と社名を変更。戦時中には海軍指定・陸軍監督工場となり、アメリカ仕込みの素材や機械技術を使いながら発展してきました。終戦を迎える1945年(昭和20年)には空襲にあって工場が全焼しましたが、見事に再建を果たし、戦後も成長を続け71年(昭和46年)に現在の地に移転しています。