この記事をまとめると
■ランボルギーニはこれまでに多くのワンオフもしくはフューオフモデルを発表している
■オフローダーとして有名な「LM002」にもワンオフモデルが存在していた
■60年の歴史のなかにはフロントウインドウとドアを一体化したガルウイングドアのミニバンもあった
ガルウイングフロントウインドウのミニバンなんて見たことない
60周年を迎えたランボルギーニ。その歴史のなかには、数多くのワンオフモデルもしくはフューオフモデルが存在している。そこで今回は、現在のランボルギーニ躍進のきっかけとなるウルスにも繋がるオフローダーと1990年代以降に発表されたワンオフモデルを中心に紹介する。
まずはランボルギーニのオフローダーといえば、ウルスではあるが、その前に「LM002」が存在していたことはよく知られるところ。しかし、LM002登場の前後にはさまざまなプロトタイプがつくられていることはご存じだろうか。そもそもの始まりは
ミリタリー用に納入予定だった「チータ」の生産がキャンセルになったことがきっかけだったのだが、ランボルギーニはクライスラー製のV型8気筒エンジンを搭載するこのチータの生産を1977年に1台で取り止めると、1981年にはランボルギーニ製V型12気筒エンジンを採用した「LM001」を再び1台のみ生産。
1982年の「LMA002」も1台、1983年の「LM004/7000」も1台とワンオフ車の製作を続け、最終的に「LM002」の量産に成功したのである。オーバー200km/hの最高速を可能としたこのLM002、生産台数は328台に及んだと記録されている。
1998年にベルトーネから発表された「ジェネシス」も、そのボディデザインが非常に興味深く語られた一台だった。ミニバンに見慣れた現在ならばまだすんなりと受け入れられるかもしれないが、フロントウインドウとフロントドアを一体化し、ガルウイングドア(ディヘドラルドアとするべきか)とした発想などは、ただ単に特徴的という言葉では足りないくらいだ。
エンジンは左右フロントシートの中間に搭載される、もちろんランボルギーニ製のV型12気筒。3速ATとの組み合わせであるのも興味深いところ。
1990年代になると、ランボルギーニが生産していたモデルは、実質的にはV型12気筒エンジンをミッドシップする「ディアブロ」シリーズのみとなる。そして1990年代中盤にはそんなディアブロをベースとしたコンセプトカー「プレグンタ」も誕生している。
さらに、2000年代も目前となると、ランボルギーニの周辺ではさまざまな動きが見えるようになってくる。ひとつはディアブロの後継となる次期12気筒モデルのプロジェクト。そしてもうひとつはジャルパ以来途絶えていたスモール・ランボ、すなわちV型12気筒以外のエンジンを搭載した、よりコンパクトでリーズナブルなモデルの新開発である。
新世代の12気筒モデルは、L147の開発コードで呼ばれていたが、1990年代半ばにはいくつかの案がランボルギーニに提案されてくる。
ミウラやディアブロを描いたマルッチェロ・ガンディーニの「アコスタ」、ザガートによる「カント」などがその代表的なところだが、当時のランボルギーニはその経営不振から親会社がVWグループへと売却されようというタイミング。
実際に1998年にはランボルギーニはアウディグループに編入されるわけだが、ここでそれまで開発を進めてきた、1990年代中にはデビューを予定していた新型12気筒モデルの企画はすべて白紙へと戻されてしまう。
イタル・デザインが提案していたV型10気筒モデルの「カラ」もまた同じ運命だった。
実際に登場したのは2001年誕生の「ムルシエラゴ」であり、そして2003年誕生の「ガヤルド」であった。
いずれのモデルも、ランボルギーニ・チェントロスティーレ(デザイン・センター)で当時チーフ職にあった、ルーク・ドンカーヴォルケによって最終的なフォルムがまとめられた新世代のランボルギーニだ。