この記事をまとめると
■ホンダは2006年のロサンゼルスモーターショーで「STEP BUS」を発表した
■「STEP BUS」のスタイリングやコンセプトは5年後に発表されたN-BOXと共通点が多い
■ホンダの軽ブランドにおける大変革に5年を要して実現したのがN-BOXだった
N-BOX登場5年前のコンセプトモデルが大ヒットモデルを生んだ
このコンセプトモデル、いまになって改めて見てみると「これがN-BOXの原型では?」と思う人が少なくないだろう。ホンダの北米法人であるアメリカン・ホンダモーターが2006年の米ロサンゼルスモーターショーに出展した「STEP BUS」だ。
同社の広報資料によると、「ミッドシップエンジンで後輪駆動レイアウトを採用。さまざまに利用できる広い室内を実現するホンダのパッケージ技術を象徴するデザインモデルである。デザインは和光デザインセンターで行った」とある。
インテリアを見ると、シートアレンジなどは量産型N-BOXをイメージするような意匠になっていることもわかる。
この「STEP BUS」登場から約5年後に、初代N-BOXが登場することになる。つまり、N-BOX的なクルマの発想が、こうしてホンダにはあったにもかかわらず、それが世に出るまでかなりの時間がかかったと言える。
背景には何があったのだろうか? あくまでも筆者の私見だが、大きくふたつの要因が考えられる。
ひとつは、ホンダのアメリカ市場に対する迷いだ。
「STEP BUS」が登場した2000年代中盤、ホンダの主力であるアメリカ市場では「C/Dセグメント」と呼ばれる中小型セダンでのメーカー間の競争が膠着状態にある一方で、1990年代から続くSUV市場の拡大が続いていた。
そのなかでホンダは、アメリカで「ホンダらしさ」を訴求することが必須であり、その方向性に迷いがあったのではないか。
長年に渡り、ホンダの北米事業を取材してきて、そう思う。
燃料電池車など技術的な提案をする一方で、アメリカでもシティコミューターのような新しいセグメントを創出する可能性を考えてたと言えるだろう。
もうひとつは、日本市場で拡大が続いてた軽市場への対応だ。
スズキvsダイハツというツートップの陰で、ホンダは埋もれていた。そうしたなかで、いわゆるスーパーハイトワゴンが誕生する前夜であった2006年に、ホンダとして「日本で勝てる軽」というイメージを描いた、と言えるだろう。
それを、軽自動車とは無縁のアメリカでコンセプトとして公開することで、「外からの風」として、ホンダ社内での「軽市場での巻き返し」に向けた動きを加速させようとした、という見方もできる。
こうした2点が、「STEP BUS」登場の背景と考えられるが、そのうえでホンダ社内では、のちのN-BOXとなるクルマを世に送り出すためには、軽ブランドにおける大変革が必要であり、その準備に5年を要した。そして「N」という、ホンダのヘリテージと、ホンダの未来を融合させる商品戦略を構築したのだ。
結局、N-BOXでは「N」シリーズとしての汎用性を考慮し、「STEP BUS」で考案したミッドシップエンジン+後輪駆動ではなく、ガソリンタンクの配置を考慮した前輪駆動車を採用する。
それでも、ホンダらしい走りの良さを徹底的に追求した。