この記事をまとめると
■第1号とされる我々が自動車と認識する乗りものが誕生したのが1886年
■以来、クルマは大きな進化を遂げている
■しかし長い間、内容が変わっていない機能部品もいくつか存在
フロントウインドウはT型フォードにも採用されていた
陸上交通の歴史を振り返ってみると、自動車が誕生したのは1796年と記録されている。フランス人エンジニアのニコラ-ジョセフ・キュニョーが作った蒸気機関による自動車だ。そして、我々がふつう一般に認識する自動車が生まれたのは1886年、カール・ベンツが作った3輪自動車が最初となる。このクルマが自動車第1号と見なされる理由は、動力源が現在と同じガソリン・エンジンであるからだ。
以来137年、工業技術の進歩とともに、自動車の実態は大きく変化してきた。もちろん、人間が運転し、エンジン動力をタイヤに伝えて走るという基本要素はまったく変わっていないが、これらを構成する各要素は劇的な進化を遂げてきたが、逆に基本的な内容が変わっていない機能部品もいくつかある。なぜ変わらなかったのか? いや、よく考えてみると変えようがなかった、というのがその実状であることに気付かされる。
では、変えようのなかった機能部品にはどんなものがあるだろうか。まず、歴史の長さでいえばウインドウガラスだろうか。ガラスの歴史は古く、紀元前4000年頃には古代メソポタミアで作られていたことが確認されているが、視界を確保できる無色透明なガラスが実用化されたのは近世、1600年代後半のことである。
自動車にフロントウインドウが採用されたのは1900年代初頭のことで、自動車史上に残るヒット作、T型フォード(1908年)ではすでに採用済みの状態だった。フロントウインドウの装着は、自動車の高速化に伴うもので、それまでドライバーはゴーグルの装着で風(風圧)の影響から目を保護していた。もちろん、最初のフロントウインドウは一枚の平面ガラスで、歴史の流れとともに形状は曲面ガラスへ、構造も強化ガラス、さらには樹脂を挟んだ安全ガラスへと進化を遂げている。
このフロントウインドウとセットで捉えてしまうのが、雨天時に前方視界を確保するワイパーの存在だ。水で濡れたガラスをワイパーで拭い前方視界を確保しようとした装置で、構造自体はシンプルだった。最初のワイパーは1910年代、第1次世界大戦の最中のことだった。まだ作動は手動で、ウインドウ上を左右に移動させる方式だった。
現在のように、ウインドウ面を扇形に動かす方式になったのは、1920年代に入ってからのことで、小型モーターによる電動式に進化したのは1930年代に入ってからだった。動作速度や間欠式など、時代の流れのなかで進化した部分もいくつかあるが、ウインドウ面をワイパーブレードが動いて雨水を除去、前方視界を確保するという方式は、100年以上も変わっていない。
車輪が回ってクルマを移動させる方式も、古代ローマ時代のチャリオットから変わっていない。最初は木製だった車輪は、路面からの衝撃や耐久性を考え鉄製の帯が巻かれ、さらに路面衝撃吸収の視点からゴム製(ソリッド構造)のタイヤが使われるようになった。そして、よく知られるようにジョン・ボイド・ダンロップが中空構造、つまり空気入りタイヤを考案した。
最初は自転車への装着で、自動車に装着されたのは1895年のパリ〜ボルドー〜パリ・レースに参戦したプジョー・ル・クレール車が最初だった。歴史に残る、世界初の自動車レースに初めて空気入りタイヤが登場したというのも驚くべきことだが、このプジョー車を操ったのがミシュラン兄弟だったというのも感慨深い歴史の巡り合わせである。
タイヤは、その後構造材としてのタイヤ・コードが考案され、さらに低圧タイヤ(バルーンタイヤ=内圧2.2〜2.5kg/?程度)へと進化を続け、さらにバイアス構造(カーカスがタイヤの回転に対して斜め方向に配列)からラジアル構造(カーカスがタイヤの中心から放射状に配列)へと発展し、車両の高速化、高速化にともなうハンドリングの安定性、居住性能の向上など、あらゆる面で車両の高性能化に貢献してきた。