レースで勝つためにBMWとメルセデスが生み出した2台! M3と190E エボの存在感がいま見てもスゴイ (1/2ページ)

この記事をまとめると

■1984年に始まったDTMに勝つためにBMWとメルセデス・ベンツはホモロゲモデルを生み出した

■BMWはM3を投入して1987年にはチャンピオンを獲得

メルセデス・ベンツも190E 2.5-16、同エボ、エボ2を立て続けに発表し、1992年にタイトルを獲得

レースでの勝利がベース車の売上に大影響していたDTM

 ドイチェ・トゥーレンヴァーゲン・マイスターシャフト=DTMの名は、日本でもモータースポーツ・ファンの間では深くその記憶に刻み込まれているものだろう。このDTMの歴史は、1984年から1995年までの第1期と、2000年から2020年までの第2期に大別することができるが、ファンにとってより魅力的なレースとして人気を博したのは、当初はトゥーレンヴァーゲンではなく、プロダクションズヴァーゲンの名を掲げて1984年にスタートした、第1期DTMであったと考えられる。

 独自のハンディキャップ性によってレースの面白さを高め、ベースとなった市販車のセールスにも大きな影響を与えたとされるDTM。それはとりわけ地元ドイツのメーカーにとって魅力的な存在と映ったレース・イベントだったのである。

 このDTMのタイトルを手中に収めるために、いわゆるホモロゲーションモデルの第一号車として誕生したのが、BMWのE30型M3だった。

 当時のBMWモータースポーツ社によって製作されたM3の開発目的はレースでの勝利あるのみ。純レーシングエンジンを由来とする2.3リッターの直列4気筒16バルブエンジンを搭載し、前後のフェンダーは車両規定で許された最大幅に合わせたブリスターフェンダーに。さらにリヤウインドウやCピラーの角度を3シリーズから変更することで、エアロダイアミクスの向上を図るなど、そのチューニングはまさに、レーシング・スペシャルと評してもよい徹底したものだったのだ。

 そしてM3はBMWの目論見どおり、見事に1987年のタイトルを手にするわけだが、その勝利をライバルメーカーも黙って見ていたわけではなかった。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
好きな有名人
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