ウデのない奴お断り! シエラRS500コスワースは「ジャジャ馬」だけど「バカッ速」クルマだった (1/2ページ)

この記事をまとめると

フォードとコスワースのタッグによりフォード・シエラRSコスワースが誕生した

■シエラRSコスワース/シエラRS500コスワースは乗る者にそれなりのスキルを要求するクルマだった

■モータースポーツでの活躍でその評価が一変したフォード・シエラ

「微妙」を「カッコいい」に変えたフォードとコスワース

 それは時代の先端を行くきわめて新鮮なデザインと評するべきだったのか。あるいは奇抜と表現するのが実際に感じた印象には近かったのか。1982年に、それまでの英国フォードによるコーティナと、ドイツ・フォードが市場に投じていたタウナスの後継車として、両フォードが「シエラ」を発表したときに、それを見た者の評価はまさしく賛否両論だったことを記憶している。

 ちなみにそのデザインはカロッツェリア・ギアが手がけたもので、デビュー時にフォードがシエラに設定したボディは3/5ドアのハッチバックとワゴン、フォーマルな4ドアセダンがラインアップされなかったという事情もあり、とくに英国フォードでは販売初期の人気は残念ながら低迷した。

 そのシエラにとって大きな転機となったのはモータースポーツの世界における活躍だった。シエラには1986年、グループAカテゴリーで行われるツーリングカーレースへの参戦を目的とした「シエラRSコスワース」が誕生。約1年間で5500台を超える販売を記録するヒット作となった。ちなみにグループA車両の公認には連続する12カ月間で5000台の生産が必要だったから、シエラはほぼその規定どおりに生産スケジュールをこなしたことになる。

 フォードのモータースポーツ部門とエンジン開発と製作のパートナーが、かのコスワース社であったことが車名の意味するところであることは、モータースポーツの歴史、そして事情に詳しい人には周知の事実だろう。コスワースの手によるエンジンは、2リッターの直列4気筒にインタークーラー付きターボを組み合わせたもので、最高出力は204馬力を達成。

 外観ではグリルレスのフロントマスクに冷却用のエアインテークが設けられ、またリヤにはこのモデルで最大の特徴ともいえる大型のリヤスポイラーが備えられた。一気に戦闘的な雰囲気へとその姿を変えたRSコスワースは、シエラのラインアップにおいても、唯一、特別な存在であったと考えてもよいのである。

 1987年には、このRSコスワースをさらに高性能化した「RS500コスワース」も誕生している。こちらの生産台数は500台と計画され、ギャレット・エアリサーチ社製T04型ターボの装着やインタークーラーの大型化、シリンダーブロックの強化など、エンジンのチューニングはさらに進められた。

 最高出力の公称値は225馬力と発表されたが、実際にレースに投じられたモデルは500馬力を超えるパワーを発揮したとも語り継がれている。新たに2段式となったリヤスポイラーも、その迫力は他に類を見ないほどだ。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
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