
この記事をまとめると
■ケータハム・セブンに似たスポーツカー「ニアセブン」が1980〜90年代に各国から登場
■バーキンやウエストフィールドなどは独自に改良を施し進化を遂げた
■光岡ゼロワンなど日本発のモデルも誕生し、多様な広がりを見せた
セブンのようでセブンじゃない
1950年代にロータスが生み出したプリミティブなスポーツカーを、新車で味わえる貴重な存在であるケータハム・セブン。最近はスズキの軽自動車用エンジンを積んだり、VTホールディングスが経営権を取得したりと、日本との関係を深めつつある。
でも、ケータハムは唯一無二の存在というわけではない。日本でケータハムの知名度が高まった1980〜90年代には、似たような形のスポーツカーがいろいろな国から続々と上陸した。それらをまとめて「ニアセブン」と呼ぶこともあったほどだ。
当時、趣味的なクルマを扱う雑誌の編集部員だった僕が覚えているだけでも、同じ英国のウエストフィールド、オランダのドンカーブート、南アフリカのバーキン、ニュージーランドのフレーザーなどがあった。
このうちもっとも多く輸入されたのがバーキン。車名はケータハムの「セブン」に対して「7」と数字になっていた。ただしその後、名称使用についてケータハムと裁判になり、7やセブンの文字は使えなくなった。
ケータハムがロータスの設計をそのまま引き継いだのに対し、バーキンはいくつか改良を施していたのが特徴で、記憶に残っていたのはサスペンションの違いだ。
当時のケータハムのフロントサスペンションはダブルウイッシュボーンといいつつ、アッパーはIアームで、スタビライザーと合わせてAの字になっていた。ロータスらしいマイナスの美学であるが、これをバーキンではアッパーもAアームにしていた。
リヤは左右のトレーリングリンクで前後方向、センターのAアームで左右方向の位置決めをしていたが、Aアームのアクスル側が1点支持でストレスがかかりやすかったので、左右のトレーリングリンクを2本ずつにして、横方向はパナールロッドで支えた。
ただし、ケータハムもその後フロントはバーキンと同じ方式になり、リヤはド・ディオンアクスルを採用したモデルが登場するなど、進化していることを書き加えておく。
ウエストフィールドはSEなどの車種名だった。こちらはリヤサスペンションもダブルウイッシュボーンになっていたが、スペースを取るためかボディはややケータハムより長く、コクピットも少し余裕があった。
ドンカーブートはケータハムでは欧州大陸の安全基準にパスできないという理由で独自に作られたモデルで、全体的に大柄。車名もそれに合わせてかスーパー8と名付けられていた。コクピットは広くシートも立派だった。
ドンカーブートはその後、セブンの面影を残しながらモダンなスタイリングに進化しており、最近もF22というモデルを発表するなど、独自の発展を遂げている。
フレイザー・クラブマンはフロントのコイル/ダンパーユニットをボディ内に隠し、リヤは上下2本のトレーリングアームをボディに露出させたサスペンションが独特。後者はコンペティション用のロータス37(スリーセブン・ただし独立懸架)を思わせる。
その後もサスペンションを変更したりしながら生産を続けているようで、ニュージーランドということもあり、エンジンはトヨタの4A-Gなど日本製がメインとなっている。
日本製のニアセブンもあった。光岡自動車が初の自社設計の乗用車として送り出したゼロワンだ。ノーズコーンの下にエアダムが追加されていたのが外観の特徴で、エンジンは初代マツダ(ユーノス)ロードスター用を搭載。
当時の衝突安全基準をクリアして型式認定を取得し、サスペンションを4輪ダブルウイッシュボーンとするなど、日本らしいきめ細かい作りだったと記憶している。