この記事をまとめると
■ダッジ・バイパーはゲームに登場したことで世界で一躍有名になった
■アメリカを代表するスポーツカーで国内外で大人気モデルとなった
■法規制の問題により2017年まで販売された3代目にて生産を終了した
アメリカンスポーツの名車ダッジ・バイパーの歴史
プレイステーションの人気ソフト、グランツーリスモには相当なクルマ好きでも驚くようなクルマが登場しています。日本ではまったく馴染みのないレーシングカーも数多く、ゲーム内のメジャーレースでいきなり先頭を走っていたりすると、「なんじゃ、このクルマは⁉」というのもありがちかと。
そんなクルマの筆頭といえば、ダッジ・バイパーをおいてほかにないでしょう。グランツーリスモの1作目から登場しており、「もっともアメリカらしいクルマ」というアワードにもランクインしたことのあるアメリカンスーパーカーを振り返ってみましょう。
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1980年代の後半を迎えるころ、クライスラーは次世代を担う「ハローカー」、すなわちブランドの顔となるクルマを模索していました。当時の会長、リー・アイアコッカはお得意のイタリア贔屓からTC byマセラティを推していたものの、GMから引き抜かれたボブ・ルッツ社長は別の思惑がありました。
ちなみに、ビジネスマンのアイアコッカに対し、ルッツはクラシックカーやバイクのコレクターとしても知られる生粋のカーガイ。コブラの生みの親、キャロル・シェルビーとも親交が深く、またクライスラー傘下にあったランボルギーニについても、「自分にとってかけがえのないブランド」というコメントを残すほど。
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そんなルッツの思惑とは、「20世紀のアメリカを代表するスポーツカー」を生み出すということ。渋るアイアコッカに7000万ドルという当時としては破格の開発費を承認させ、社内で85人のエキスパートを招集しただけでなく、シェルビーとアドバイザー契約を結び、ランボルギーニには新型エンジンの開発まで命じたのでした。
これだけのメンバーなら下手なクルマが出来るわけがありません。1989年のアメリカンモーターショーでバイパーのコンセプトカーがお披露目されると、すごい数の注文が入ったのは当然の結果かと。
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コンセプトは、それこそ1960年代のコブラであり、打倒コルベットが裏テーマ。アメリカンマッスルカーの常道であればV8を選ぶべきですが、ルッツはインパクトをもたせるためにもV10を強く勧めたとされています。同社にはラムに搭載していたV10が既にあったということもありますが、あえてランボルギーニにアルミ鋳造ブロックを注文。出来上がったエンジンは総排気量8リッター、最高出力406馬力/4600rpmという現代でもワクワクしちゃうようなユニット。
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これを、屋根なし、窓なし、ついでにドアハンドルもなしというボディにぶち込んだのが、1991年12月に市販された初代バイパーのRT/10でした。5万2000ドルという価格も破格で、コルベットZ51よりもはるかに高価であり、金満ユーザーはポルシェ911ターボやフェラーリ348GTBなどと比べたとか。
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ちなみに、バイパーは和名クサリヘビという毒蛇のこと。むろん、コブラにインスパイアされてのことでしょうがピッタリすぎのネーミングです。当初、RT/10は300台ほどの限定生産が予定されていたのですが、あまりの人気からカタログモデルとなり、結局2002年までに9500台が生産されるというアイアコッカも予想外の結果となったのです。