世界中のレースシーンを席巻 そして、1995年にはクーペのGTSもラインアップに加わりました。ダブルバブルのルーフに加え、イメージカラーはブルーにホワイトのセンターフラッシュですから、だれがどう見てもデイトナ・コブラを彷彿とさせるもの。ここまでくると「シェルビーってフォードっ子じゃなかったっけ」という突っ込みもしづらいかと(笑)。
ダッジ・バイパー(初代) 画像はこちら
ともあれ、GTSはエンジンにファインチューニングが施され、450馬力までパワーが向上。その結果、0-60mph加速4秒、最高速は306km/hに達することに(ロード&トラック誌による実証済み)。そのうえ、RT/10にはオプションすらなかったエアコンやパワーウインドウ、エアバッグといった装備が施され、はるかに文化的なクルマに仕上がっていました。
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ちなみに、このころになると日本にもクライスラージャパンが正規輸入をしており、チーム・タイサンがGTS(エントリー車はGTS-R)で全日本GT選手権GT500クラスに参戦していたこと、ご記憶の方もいらっしゃるかと。ちなみに、マシンはイギリスのファクトリー、レイナードが製作し、初参戦時のドライバーは土屋圭市/松田秀士コンビというなかなかの顔ぶれでした。
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※画像は2000年参戦仕様
2003年にバイパー はフルモデルチェンジが行われ、SRT/10というサブネームが付くことに。エンジンは当然V10でしたが、8.3リッターまでスープアップされて507馬力/5600rpm、712Nm/4200rpmのマキシパワーをゲット。また、80スープラをデザインした鹿戸 治氏のスタイリングも話題となりました。しかし残念ながら、サイドパイプのエキゾーストが当時の日本の法規に合わないことから正規輸入は見送られてしまいました。
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なお、オープンボディのソフトトップは初代と違って対候性や使い勝手が格段に向上した一方、「普通になった」と失望(笑)の声も少なくなかったとか。
また、この世代からワンメイクレースも開催されるようになり、ベースとなったACR(American Club Racer : ZBⅡ)は8.4リッターの排気量、吸排気系チューン、BBSのホイールにミシュラン・パイロットスポーツカップといったレーシングパッケージが用意されています。なお、このマシンは2011年にニュルブルクリンクで7分12秒13というラップタイムで、史上6番目の記録を樹立しています。
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そして、最後のバイパーとなったのが2012年に登場した3代目(本国では厳密に第5世代)は、さすがに洗練の極みにあり、8.4リッターの排気量はACR同様ながら649馬力まで強化されただけでなく、カーボンやアルミの多用によって45kgの軽量も果たしています。
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デザインはダブルバブルのルーフこそ継承しつつ、フェラーリもかくやといったヨーロピアンテイストとなり、またエアロデバイスもモダン、かつ実効的なものが数多く装備されています。実際に効き目があったようで、2017年にはニュルで7分1秒30と、先代から10秒以上タイムを縮めています。
そのほか、3代目の大きな特徴は、ライバルのコルベット打倒を目指したのかレースシーンへの積極的な参戦だったといえるでしょう。2013年にはLM-GTEクラスでル・マン24時間に参戦、2015年のデイトナ24時間ではDクラスの優勝を飾ることができました。グランツーリスモでは、このGTEマシンがかなり速いと評判です。
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しかしながら、バイパーもアメリカの安全法規には打ち勝つことができず(サイドカーテンエアバッグが装備できないなどの理由)、2017年をもって生産終了。およそ26年というモデルライフに終止符が打たれてしまいました。コルベットよりは短命ということになりますが、クルマ好きの心に残した爪痕は侮りがたい深さだったこと疑う人はいないでしょう。