この記事をまとめると
■デ・トマソの代表作であるパンテーラにはさまざまな仕様がある
■1990年に登場した「パンテーラ90Si」は41台が生産された
■パンテーラ90Siはシリーズの歴史を締めくくった貴重なモデルとして人気が高い
理想のクルマを追い求めて自ら自動車メーカーを設立
アルゼンチンからイタリアに、新たな活躍の場を求めたアレッサンドロ・デ・トマソが、そのイタリアで最初に得た職は、モデナのマセラティのメカニックであり、またレーシングドライバーであった。
しかし、当時のマセラティは、スポーツカーメーカーとしては名門中の名門とも評されたブランド。アレッサンドロがドライバーとして活躍できる舞台は限られ、結果として彼はマセラティ時代に知りあったアメリカ人の妻、イザベルの持つ莫大な資産とともにOSCAに移籍。そこで最新のワークスモデルをドライブするチャンスに恵まれたのである。
デ・トマソの創始者であるアレッサンドロ・デ・トマソ画像はこちら
だが、ミッドシップの基本設計を望むアレッサンドロとOSCAのエンジニアリングチームの意見は対立。最終的にアレッサンドロはこのOSCAも離れ、自らデ・トマソ・アウトモビリ社を設立することに至ったのである。これが1959年のことだ。
当初はレーシングカーの製作のみに集中していたデ・トマソの活動だったが、1965年にはフォード製の1.5リッター直列4気筒エンジンをミッドに搭載したコンパクトなスポーツカー、「ヴァレルンガ」を発表。さらに1970年には、ヨーロッパ仕様で4728cc、アメリカ仕様では4949ccという大排気量のV型8気筒エンジンを、やはりミッドシップした「マングスタ」をデビューさせるなど、積極的なニューモデル戦略を展開。
デ・トマソ・ヴァレルンガのフロントスタイリング画像はこちら
そしてマングスタと同じ1970年には、その後デ・トマソの名を一気に世界に広める原動力となった魅力的なミッドシップスポーツが誕生する。デ・トマソという名を聞けば、誰もが代表作としてその名を挙げる「パンテーラ」がそれである。
トム・チャーダによってデザインされ、カロッツェリア・ギアによって製作された、端正でダイナミックなボディスタイルと、フォード製の5763cc(351立方インチ)版V型8気筒OHVエンジン(その生産工場の名前から、クリーブランドの愛称で呼ばれることも多い)のミッドシップ。
デ・トマソ・パンテーラLのフロントスタイリング画像はこちら
ジャン・パオロ・ダラーラの手によって生み出されたセミモノコック構造は、デ・トマソとしてはこのパンテーラで初採用されたもので、これはコストの削減と生産効率の向上を意識したものと考えるのが妥当だろう。
ホーリー製の4バレル・キャブレターを組み合わせたエンジンの最高出力は諸説あるが、その平均的な数字は約300馬力。この初期モデルをスタート地点として、デ・トマソはそれからさまざまな進化型を、市場へと投じていく。1973年にはさらなるパワーアップを果たした「GTS」、1980年にはフルエアロで武装された「GT5」、また1985年にはさらにフェンダー幅が拡大された「GT5S」が登場した。