最後はシーマの兄弟車になって消滅! センチュリーのライバル「日産プレジデント」の残念な運命

この記事をまとめると

■日産プレジデントは1965年から2010年まで販売された日産の高級サルーン

■アメ車風の威圧感あるデザインがVIPカーブームでカスタムベースとして注目された

■センチュリーより税制面で有利な点も人気の一因に

センチュリーと並ぶ日本の歴史あるショーファードリブン

 日産のショーファードリブンとして、1965年から2010年まで4世代に渡って販売されていたプレジデント。同クラスのモデルとしてはトヨタのセンチュリーが知られるところだが、プレジデントはショーファーカーとしての需要だけでなく、ヤンチャなカスタマイズを施すベース車両としても人気となっていた。果たしてそれはなぜなのだろうか。

 1965年に初代モデルが登場したプレジデントは、1967年にデビューのセンチュリーよりもひと足先にリリースされた。当時の国産車としては最大となるボディサイズと、最大排気量となる4リッターV8エンジン(3リッター直6も設定)を搭載していたのがトピックだった。

 またデザインも、のちに登場するセンチュリーが「和」を感じさせるデザインをまとっていたのに対し、プレジデントはアメリカの高級車風のデザインをもっていたのも特徴で、どことなくワルな雰囲気をもっていたところが、カスタマイズのベースとして愛される理由のひとつであろう。

 とくに1990年に登場した3代目モデルは、日産が北米市場向けに立ち上げたインフィニティブランドの旗艦モデルとして投入された「インフィニティQ45」がベースとなっており、オーナードライバー向けにショートホイールベース化を施したプレジデントJSも遅れて登場するなど、ユーザー層の拡大にも一役買っていた。

 そして1990年代後半から2000年代前半には高級セダンをベースにカスタマイズを行う「VIPカーブーム」が到来し、アメ車のようなワルな雰囲気をもつプレジデントはそのベースとして人気を博したのである。

 もちろん当時もセンチュリーをベースにするツワモノも存在していたが、プレジデントはそのデザインはもちろん、搭載されているエンジンが4.5リッター(3代目以降)と、5リッターエンジンを搭載するセンチュリーよりも自動車税が1ランク下だったことも選ばれる理由となっていたようだ。

 2003年に登場した4代目モデルは、当時の日産のお家事情もあってほぼシーマの兄弟車となり、ホイールベースまでも共通となってしまい、残念ながらプレジデントらしさは失われてしまった。2010年で終売となったのは残念だったが、セダン需要の縮小なども考えるとやむを得ないところだったのかもしれない。


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小鮒康一 KOBUNA KOICHI

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日産リーフ(2代目)/ユーノス ロードスター/マツダ・ロードスター(2代目) /ホンダS660/ホンダ・オデッセイ(初代)/ 日産パルサー(初代)
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