
この記事をまとめると
■1980年代の国内レースで人気だったスーパーシルエットというカテゴリがある
■スーパーシルエット仕様に製作された日産マーチが1台だけ存在する
■マッチこと近藤真彦氏のために製作された
知られざる異色のスーパーシルエットマシン
現在、国内で一番人気のあるドメスティックなレースカテゴリーは、ハコ車の頂点であるスーパーGTだろう。市販車の面影を残しながらも、空力的に突き詰められた高効率のエアロパーツを身にまとったマシンで、トヨタ、ニッサン、ホンダの三大ワークスがしのぎを削りながら白熱のレースを繰り広げている。
そうした日本独自のハコ車レースのルーツをたどっていくと、「あのレース」に行きつくことになる。「あのレース」とは、1980年代初頭、グラチャン族といった社会現象まで巻き起こした人気カテゴリー、スーパーシルエットだ。
スーパーシルエットはオーバーフェンダーに巨大なウイング、そしてグッとせり出したフロントスポイラーがシンボルで、そのデザインを表現するならば、丸みより直線。空力より派手さ。
いまに至るジャパニーズドレスアップの原点はスーパーシルエットにあるといっても過言でないほど、強烈なインパクトとデザインの方向性が具現化していた。
そんなスーパーシルエットのマシンのなかで異端だったのが、ここで紹介する日産のマーチ スーパーシルエットである。
マーチ スーパーシルエットは、KONDO RACINGのオーナーで、スーパーフォーミュラなどを運営する日本レースプロモーション (JRP) 取締役会長を務める近藤真彦氏のために作られたレーシングカーである。ベース車となった初代マーチは、それまで日産車にはなかったリッターカーの小型車として1982年に発売になったハッチバックのコンパクトカーだ。
車名は一般公募のなかから決められ、当時アイドルとして人気絶頂だった近藤真彦がイメージキャラクターに選ばれ、近藤真彦氏の愛称「マッチ」から「マッチのマーチ」のキャッチコピーで大々的に宣伝された。
その近藤真彦氏は、当時からレースにも興味をもっていて、本格的に競技ライセンスを取得し、レースに参戦する方向で動きはじめ、日産自動車が全面バックアップに乗り出すことに。その結果、近藤真彦氏がA級ライセンスを取得するまでの練習車として用意したのが、このマーチ スーパーシルエットなのだ。
ベースはもちろん初代マーチ=K10型で、エンジンは1.5リッターのE15に換装。それをメカチューンで160馬力までパワーアップし、サスペンションを強化。
エアロパーツは、スーパーシルエット テイスト満載の直線的で派手で目立つデザインを採用。デザイナーは謎だが、当時スーパーシルエットで人気を独占していた、日産ターボ軍団のスカイライン、シルビア、ブルーバードのボディデザインを任されていたのが由良拓也率いるムーンクラフトだったので、その流れを汲んでいた可能性はある。
いずれにせよ、NISMOが設立される2年前、日産宣伝部が近藤真彦の練習車として1台だけ制作した貴重なマシンが、マーチ スーパーシルエットというわけだ。なお、制作されたのは1982年だが、スーパーシルエットのレギュレーションに合致していたわけではないので、実戦のレースに参戦した記録はない。
ゴールドとブラックで塗りわけられたカラーリングと、インパルのD-01ホイールの組みあわせは十分レーシングで、完成度の高いデザインだったといえるだろう。