これって現代のスーパーカーそのもの! 日産の技術者魂が詰まったミッドシップ4WDマシン「MID4」

この記事をまとめると

日産は1985年のフランクフルトモーターショーで「MID4」を公開した

■MID4はミッドシップにエンジンを配置した4輪駆動モデルだった

■1987年には「MID4 II」へと進化を果たしたが市販されることはなかった

ミッドシップの4輪駆動だから「MID4」

 MID4とは、日産自動車が1980年代に開発した試作車だ。「ミッド・フォー」と読む。このアルファベットの車名は、ミッドシップ(前後タイヤの間)にエンジンを搭載した、4輪駆動車を意味する。

 MID4は、1985年初秋のフランクフルトモーターショーで公開された。日本のみならず、世界の自動車メーカーは、1970年代の排出ガス浄化対策で勢力を使い切っていた。それが一段落した1980年代に、再び高性能化への道を歩みはじめる。日産で象徴的なのは、「901運動」と呼ばれる活動だ。1990年に技術で世界一を目指すことを目的とした。

 その過程で登場するのが、MID4である。

 クルマの運動性能の追求からミッドシップにエンジンを配置し、高出力エンジンの威力を無駄なく速さへつなげるのが4輪駆動だ。F1などのレーシングカーは、ミッドシップでも後輪駆動だが、公道を走る市販車では、高性能を誰もが無駄なく活かし切る4輪駆動が目指すべき方向であろう。その模範的な例が、1980年に登場したドイツのアウディ・クワトロだ。

 第二次世界大戦後に悪路走行を主眼とした米国Jeep(ジープ)を代表とする4輪駆動はその後、スバルやアウディによって、舗装路でも有効な駆動方式であることが証明された。そこで、技術で世界一を目指す日産も、高性能な市販車を追求するに際し、4輪駆動は不可欠な手法であったはずだ。それを極めるため、試作車ではふたり乗りのミッドシップが選ばれたのだろう。

 MID4は、1987年の東京モーターショーでMID4 IIへ発展し、市販が視野に入っているのではないかとの噂や期待も広がった。

 結果として、MID4の市販はなかった。だが、そこで培われたV型6気筒のエンジン技術はフェアレディZで活かされ、4輪駆動技術はスカイラインGT-Rの復活で実を結んだ。

 そのほか、901運動の成果は、プリメーラのような前輪駆動の4ドアセダンでも、かつてとは比較にならないほど操縦安定性に優れた走りをもたらし、「技術の日産」という誉を明らかにしただけでなく、新車販売においても、おおいに貢献したといえる。


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