昔は喜ばれた「ど派手なデコトラ」がいまは敬遠されるように……日本人のゆとりのなさがもたらした「ステルスデコトラ」の台頭 (2/2ページ)

遊び心を忘れたくない

 それは、テレビ番組にもいえること。なにかにつけてクレームをつけたがる一部のクレーマーの声を気にし、誰がどう見ても理不尽な要求にも応えるようになった。そして、庶民の娯楽であったはずのテレビ番組がつまらないものへと成り下がっていき、現代のテレビ離れへとつながっている。つまり一部の人間の言葉をその他大勢の言葉と勘違いする風潮が、いまの面白みに欠ける日本に仕立て上げたといっても過言ではないだろう。

 多少の遊び心は、ゆとりに直結する。そう考えると、景気が悪いのもクレーマーの声を気にしすぎる姿勢が導き出した結果なのかもしれない。近年では、テレビ番組ではできないような企画をYouTubeなどで公開しているが、そちらの景気を悪いと感じることはない。そんなYouTubeにクレーマーが文句をつけないのが不思議であるが、クレーマーとはもともと心が小さい人がやる行為。そのため、文句をいっても素直に従ってくれる対象しか相手にしないのだ。それがスポンサーのおかげで成り立っているテレビ局であり、お客さまでなりたっている企業なのだろう。

 先進国であるアメリカは、遊び心に満ちている。ジェット機のエンジンをトラックに載せてみたり、とても馬鹿げた行為に真正面から向き合っているのだ。アクション映画を撮影する際にでも、アメリカでは街をあげて協力する。日本では信号無視や速度超過なども許されず、道路の使用許可や爆発物の認可も取りにくい。その違いが、映画の完成度にも表れているといえるだろう。

 真面目な国民性で知られる日本は、世界イチ安全な国であるといえる。しかし、真面目すぎるのもどうだろうか。景気が良いことでも知られるアメリカとの違いは、やはり遊び心や心のゆとりではないだろうか。アメリカと同じようになって欲しいとは思わないが、臭い物に蓋をするだけではなく、不真面目なものを排除するだけではなく、もっと寛大な心をもちたいものである。


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