ポルシェ博士ってやっぱり天才! 100年以上前に誕生したハイブリッド車「ローナー・ポルシェ・ミクステ」に敬礼!!

この記事をまとめると

ポルシェ博士が最初に作ったクルマはEVであった

■EVの弱点を補うべく開発されたのがハイブリッド車のローナー・ポルシェ・ミクステだ

■エンジンで発電してモーターで走行するシリーズ式を採用していた

ポルシェを設立する前にすでにインホイールモーターのEVを製作

 フェルディナント・ポルシェ博士が、最初に作ったクルマは電気自動車(EV)だった。この話は、タイカンが発売された折に広がっていると思う。

 オーストリアのローナー社で働いていたポルシェ博士が、1900年のパリ万国博覧会に出展したローナー・ポルシェがそれだ。しかも、今日でさえ構想のみで、市販車ではまだ採用されていないインホイールモーターを装備するEVであった。EVならではの先進性をすでに実行していたのである。

 ただし、EVならではの難点もあった。それはバッテリー性能だ。今日のリチウムイオンバッテリーが実用化されるのは、1990年代になってからのことで、90年も前には鉛酸バッテリーしか手に入らない状況だった。したがって、ポルシェ博士のローナー・ポルシェも、それでは実用になりにくいと気がつかされた。

 そこで、すぐに改善案が実行に移され、それが翌1901年に姿を現したハイブリッド車(HV)のローナー・ポルシェ・ミクステである。

 ハイブリッドにも種類がある。ポルシェ博士が選んだのは、シリーズ式といって、ガソリンエンジンを発電機用の動力に使う形式だ。今日でいえば、日産自動車のe-Powerと同じ考え方だ。つまり、EVのよさはそのままに、不足する走行距離を確保するためのHVという発想だ。

 また、当時のガソリンエンジンの性能からも、発電機用と考えるのが妥当であったといえる。というのも、ガソリンを気化してエンジンへ提供する気化器(キャブレター)が、まだ十分に開発されていなかったためだ。のちの、霧吹きの原理を用いたキャブレターが実用化されるのは、20世紀に入ってからといわれている。

 したがって、ガソリンエンジンはあっても、それに燃料を自在に供給する手段がなく、ある一定の回転数で動かす程度の水準であったと考えられる。このため、エンジンの動力で走らせようとすれば、低速でしか走れず、たとえばカール・ベンツがドイツで発明した1886年のパテント・モトール・ヴァーゲンの速度は、時速15kmであった。そこから速度を高めるには、変速機を使うしかない。キャブレターが装備されることで、より速くガソリンエンジン車が走れることになる。それでも、最初に時速100kmを達成したのはEVだった。

 話がそれたが、ガソリンエンジンがまだ十分に性能を手に入れる前の時代、EVがより優れた性能をもち、その走行距離の確保のためHVが生まれた。しかも、走行はモーターにより、発電にエンジンを使うシリーズ式で、それがローナー・ポルシェ・ミクステと呼ばれた世界初のHVであった。


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