F1の名門ウィリアムズの名前がついたルノー車があっただと!? 本物の激速ハッチバックだけど「ウィリアムズ」は一切開発に関与していないかった (1/2ページ)

この記事をまとめると

ルノーは1992年にホモロゲーションモデルとしてクリオ・ウィリアムズを発売

■F1コンスタラクターのウィリアムズは開発に関与していない

■とはいえルノースポールによって仕上げられた魅力的なモデルとなっていた

ウィリアムズの名を関したルノー究極のFFマシン

 1976年にルノーは5アルピーヌをリリースして以来、ホットハッチと呼ばれる痛快なクルマをいくつも作り上げてきました。とりわけラリーのホモロゲーションモデルとして開発されたクリオ・ウィリアムズは珠玉のデキで、いまでも根強いファンがいるほどです。

 が、ウィリアムズの名前こそ付いているものの、実際に名門F1チームはエンジンどころかシャシーまで指一本触れていないのです。とはいえ、シリーズ3まで作られて、1万2000台以上が売れたという大ヒット作を振り返ってみましょう。

 1992年、FIAによる2リッタークラスのラリー選手権にむけて、ルノーはクリオで参戦することを決定しました。それまでのクリオは、シュペール5の後継モデルとして1980年にデビューした3/5ドアの「普通のハッチバック車」でした。ヨーロッパのカー・オブ・ザ・イヤーを獲得(1990)するなど、それなりに素性のよさは認められていたものの、ラリーとなると話は別。ホモロゲーションモデルを新たに開発する必要に迫られたのです。

 奇しくも1992年はF1でルノーV10エンジンを搭載したウィリアムズのFW14Bがコンストラクターズチャンピオンを獲得したというシーズン。これ幸いとばかりに、ルノーがウィリアムズの名前を付けたのも大いに納得です。もっとも、チームは名前を貸しただけであり、実際の開発には一切タッチしませんでした。ルノーのレーシングディビジョン、ルノー・スポールが市販車のチューンアップやカスタムに秀でていたことに対し、ウィリアムズはロードカーの経験なんてこれっぽっちもありませんでしたから、当然といえば当然かと。

 ルノー・スポールはレーシングエンジンの開発だけでなく、シャシーのアップグレードからさまざまなマネジメント技術に至るまで、総合的な開発を担える立場。なかには、リジェやゴルディーニといった名だたるファクトリーに在籍したエンジニアも多数在籍していたとか。そんな彼らがF1以上に心血を注いだとされるのが、ほかでもないクリオ・ウィリアムズですから、仕上がりが悪いわけがありません。


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石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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