作っては見たものの「怪物すぎて危険」と市販を断念! たった5台のプロトのみで終わった「TVRサーブラウ・スピード12」の怪物っぷり

この記事をまとめると

TVR車でもっともスパルタンなモデルといえばそれは「サーブラウ・スピード12」だ

■サーブラウ・スピード12は7.7リッターのV12を搭載し最高出力は880馬力

■安全装備のないサーブラウ・スピード12の市販は危険と判断され5台を生産して終了した

ブランド史上最強のスパルタンモンスター

 かつてはこの日本にも、数多くのモデルが正規輸入されていたことから、現在でもファンの多いイギリスのTVR。彼らがその創立から貫いているプロダクトコンセプトは、強力なエンジンと軽量性を両立させることで、スポーツカーとしての魅力、そして純粋さを追求することだった。

 ちなみにTVRという社名は、創業者であるトレバー・ウィルキンソンのファーストネーム、Trevorから子音をチョイスしたもの。彼がTVRエンジニアリング社を創立したのは想像するよりもはるかに古く、1947年の話になる。

 その後のTVRの経営は、1965年にはマーティン・リリーに、また1981年にはピーター・ウィラーの手に委ねられ、1990年代に入るとグリフィスやキミーラといったヒット作も誕生する。

 それまでのモデルでは、フォードやローバー製のV型8気筒エンジンを使用してきたパワーユニットを、自社製へと変更したサーブラウが発表されたのは1994年のこと。TVRはすでにバックヤードビルダーの域を超え、ここでスポーツカーメーカーとして完全に自立した存在へと成長を遂げたといってもよいだろう。

 しかしながら、その好調な時代は長くは続かなかった。2004年にTVRはロシア人実業家のニコライ・スモレンスキーの手にわたり、2005年にはニューモデルのサガリスを発表するが販売は低迷。そして、2006年12月、TVRは事実上の倒産という事態へと追い込まれてしまったのである。

 それではこれまでに生産されたTVR車のなかで、もっともスパルタンかつTVRらしいコンセプトが主張されたモデルは何だったのだろうか。多くのTVRファン、そしてブリティッシュ・スポーツのファンがその名前を挙げるのは、おそらくはFIA-GT選手権への参戦を意識して開発がスタートした「サーブラウ・スピード12」ではないだろうか。

 TVRはまず、1996年のバーミンガムショーに、「プロジェクト7/12コンセプト」と呼ばれるコンセプトカーを出品。これは2基のスピード6エンジンを接続したV型12気筒の7.7リッターエンジンを、800馬力以上の最高出力で搭載したモデルで、当然のことながらその存在感は同ショーのなかでは非常に大きなものだった。

 その反応に自信をもったTVRは、レーシングモデルと同時に、ロードカーの開発を進めることを決断。2000年にオンロードでの走行が可能な「サーブラウ・スピード12」を完成する。搭載エンジンはもちろん7.7リッターのV型12気筒。最高出力は880馬力にまで高められ、これには6速MTが組み合わされた。

 ちなみにレース仕様はレギュレーションの関係で、最高出力は700馬力にも至らなかったというから、ロード仕様のサーブラウ・スピード12は、まさにTVR最速の一台にほかならなかったのだ。

 基本構造体となるスペースフレームはアルミハニカムとスチールパイプを使いわけたもの。サスペンションはプッシュロッド式で、ボディやキャビンには徹底した軽量化の策が施された。その結果で得られたのが1020kgという車重。だがABSやトラクションコントロールなど一切の安全装備ももたないこのモデルを市販するのは、あまりにも危険という判断をTVRは下し、そのプロジェクトは5台のプロトタイプが生産されたのみで終了している。

 その後、サーブラウ・スピード12はさまざまなショーのTVRブースを飾ることになるが、プロトタイプのなかの1台は、当時社長であったピーター・ウィラーとの面談の末、あるカスタマーに販売されることになったという。

 はたしてそのサーブラウ・スピード12はいま、どこに安住の地を得ているのだろうか。興味は尽きない。


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山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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