この記事をまとめると
■「イスパノ・スイザ」は120年以上の歴史をもつスペインの自動車メーカーだ
■高級車と航空機エンジンを生産するも第二次世界大戦後に消滅
■2000年に再建を果たし2024年には新作ハイパーカー「カルメン・サグレラ」を発表した
一度は消滅するも蘇った老舗メーカー
スペイン(Hipano)とスイス(Suiza)を組み合わせた社名、イスパノ・スイザという自動車メーカーの存在を覚えている人はどれだけいるだろうか。
そのエンブレムの中心には、まさにスペインとスイスの国旗が半分ずつ描かれ、その成り立ちを表している。創業者のオ・デ・ラ・クワドラが1898年に生み出した最初のプロダクトは、電気自動車の「ラ・クワドラ」。その後、スイス人エンジニアのマルク・ビルキストとともに、ファブリカ・イスパノ・スイザ社を創立するが、1904年には一度倒産の憂き目にあった。
イスパノ・スイザのエンブレム画像はこちら
だが、ファブリカ・イスパノ・スイザの時代に社長の座についたホセ・マリア・フェルナンデス・カストロは、1904年にはその会社を再建。1914年にはイスパノ・スイザのブランド名で高級車の販売や航空機用エンジンの生産を開始したのである。
しかし、第二次世界大戦による影響は、このイスパノ・スイザというブランドにも大きな打撃を与えることになる。高級車市場はかつての活況を取り戻すことはなく、1946年には自動車部門が、さらに1968年には航空機部門がいずれも売却され、イスパノ・スイザの歴史、その第一幕は終わりを告げることになったのだ。
イスパノ・スイザが戦前に製造していたモデル「H6C」画像はこちら
そのイスパノ・スイザが再び復活を遂げたのは2000年のことだった。彼らが新時代の象徴ともいえるプロダクトとして選択したのは、前述した1898年製のクワドラと同様に電気自動車。ただし、それは世界のハイパーカー・ブランドのなかでトップの座に君臨することを意識した、きわめて高性能なモデルにほかならなかった。
そのEVハイパーカーを生み出すために再建されたイスパノ・スイザだが、実際にプロダクションモデルが完成するまでの時間はとても長かった。まず、彼らがその準備段階として手がけたのは、やはりICE(内燃機関)を搭載するスポーツモデルで、2000年のジュネーブショーでは、同じくスペインのマーツェル・グループ・エンジニアリング社との共同開発で、ルノー・スポール・スピダーをベースとした「HS21」を発表。
イスパノ・スイザHS21のフロントスタイリング画像はこちら
翌2001年には高級サルーンの「K8」、また2002年にはHS21の進化型ともいえる「HS21 GTS」の発表も行われたが、それはル・マン24時間レースへの参戦も意識した本格的なスーパースポーツだった。
イスパノ・スイザHS21 GTSのフロントスタイリング画像はこちら
実際にル・マン24時間レースへの参戦はかなわなかったが、イスパノ・スイザは確かにスーパースポーツ、あるいはその上に位置するハイパーカーメーカーとしての道を歩んでいたのだ。