歴史を振り返るとやっぱりF1にはホンダが必要! アストンマーティンとのタッグで復活する2026年は期待しかない!! (1/2ページ)

この記事をまとめると

■ホンダは2026年よりアストンマーティンと組んでF1に復帰する

■1964年以来断続的ながらもF1の舞台で戦い続けてきたホンダの軌跡を振り返る

■2026年より導入される新規定も相まって勢力図が大きく変わる可能性も見込まれる

ホンダのF1参戦の軌跡をプレイバック

 3月14~16日のオーストラリアGPで2025年のF1が開幕することから、多くのファンがワクワクしていると思うが、筆者の関心は、すでに2026年のシーズンに向いている。なぜなら、2026年よりホンダがパワーユニットのマニュファクチャラーとして正式にF1へ復帰。アストンマーティンF1チームとのタッグで、世界最高峰シリーズに戻ってくるからだ。

 ご存じのとおり、もともと二輪メーカーのホンダが四輪車の発売を開始したのが1963年で、その翌年の1964年8月に開催されたドイツGPでF1にデビュー。まさに無謀ともいえるチャレンジだったが、参戦2年目となる1965年のメキシコGPでは、エンジンはもちろん、シャシーもオリジナルのマシンで初優勝を獲得している。

 その後、1967年のイタリアGPで2勝目をマークしたが、F1参戦の初期のターゲットである“四輪車の技術習得”は達成できたという判断から、ホンダは1968年を最後にF1での第1期の活動を終了した。

 再びホンダがF1に帰ってきたのは1983年のイギリスGPだ。イギリスのスピリット・レーシングへエンジンの供給を開始することで、15年ぶりにF1参戦を開始した。同年の最終戦となる南アフリカGPには、おなじくイギリスのウィリアムズにもエンジンを供給している。さらに1984年のダラスGPでは、ウィリアムズ・ホンダのケケ・ロズベルグが市街地コースを攻略し、復帰10戦目にして、ホンダとしては3勝目、2期目の活動としては初優勝を獲得した。

 その勢いは1985年も健在で、ウィリアムス・ホンダが4勝を挙げたほか、1986年には同チームのナイジェル・マンセルが5勝、ネルソン・ピケが4勝をマークしており、計9勝を獲得したウィリアムズ・ホンダがコンストラクターズ部門でチャンピオンを獲得した。

 1987年にはウィリアムズに加えて、ロータスにエンジンを供給したホンダは計11勝をマーク。3勝をマークしたウィリアムズ・ホンダのネルソン・ピケがドライバーズ部門でチャンピオンに輝いたほか、ウイリアムズ・ホンダがコンストラクターズ部門で2連覇するなど2冠を達成した。

 さらに、ロータスに加えてマクラーレンにエンジンを供給した1988年にはホンダ勢が計15勝を挙げたほか、アイルトン・セナがドライバーズチャンピオン、マクラーレン・ホンダがコンストラクターズ部門を制覇。

 このホンダのパフォーマンスは、ターボが廃止され、NAエンジンへとレギュレーションが変更された1989年になっても衰えることはなく、計11勝を挙げ、アラン・プロスト/マクラーレン・ホンダがチャンピオンに輝いた。

 1990年も6勝をマークしたセナ/マクラーレン・ホンダがタイトルを獲得したほか、1991年も7勝を挙げたセナ、8勝を挙げたマクラーレン・ホンダが2連覇を達成するなど、ホンダの黄金期は続いた。

 しかし、1992年に入るとホンダ勢は苦戦の展開。セナ/ゲルハルト・ベルガーらが計4勝をマークしたが、タイトル獲得には至らず。さらに世界各国でクルマの販売不振が続いていたことから、ホンダは同年をもって第2期F1活動を休止した。


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廣本 泉 HIROMOTO IZUMI

JMS(日本モータースポーツ記者会)会員

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