この記事をまとめると
■1970年代後半に「グラチャン族」が社会現象になった
■グラチャン族は「富士グランチャンピオンシリーズ」出場車両に似せたカスタムカーのこと
■シリーズ終了でブームは下火になったが日本の自動車文化に与えた影響は大きい
派手なエアロで一大ブームを巻き起こした富士グラチャン
モータースポーツがクルマ好きに与える影響はいまも昔も大きいが、カスタムに関しての影響でいうと、1970年代後半に社会現象にもなった「グラチャン族」がひとつのピークだったかもしれない。
「グラチャン族」とは当時、国内最大級のレースイベントであった「富士グランチャンピオンシリーズ」の開催に合わせ、会場の富士スピードウェイや東名高速や中央道に集結してきたド派手なカスタムカーに乗った人たちのこと。
「富士グランチャンピオンシリーズ」は、オイルショック、排ガス規制で、排気量制限のビッグマシンによる日本GPが消滅したあと、富士スピードウェイが新たな目玉として独自にはじめたシリーズ戦。

1971年にスタートし、黒沢元治、高橋国光、風戸 裕、生沢 徹、高原敬武、星野一義、長谷見昌弘、中嶋 悟、松本恵二、和田孝夫など、国内トップドライバーが終結。ジェフリースやE.エルグなど外国人ドライバーと日本のトップ選手との争いも見ものだった。
1970年代には6万人以上の観客が集まる人気があったが、同時にレースが目当てではなく、自分の愛車=改造車を見せに来ることが目的の「グラチャン族」も多かった。
グラチャン族仕様のカスタムミニカー画像はこちら
「富士グランチャンピオンシリーズ」、略称グラチャン(GC)は、高速サーキットの富士に特化し独自のカウルを被ったGCカーによるメインレースのほかに、市販車改造クラスのスーパーツーリング、マイナーツーリングというサポートレースも盛り上がった。