「S30型フェアレディZ」こそ「日本を代表するスポーツカー」に異論なし! 中古相場の高騰も納得のクルマだった (1/2ページ)

この記事をまとめると

■日本を代表するスポーツカーであるフェアレディZの源流「S30型」を掘り下げる

■1969年に登場したS30型フェアレディZは日産の世界戦略車だった

■S30型フェアレディZの人気はいまだ衰えず中古車の相場は高騰している

日本を代表するスポーツカーといえばフェアレディZ

 国産のスポーツカーは? と問いかけられて浮かべる車種は人によっていろいろだと思いますが、日産を代表するブランドの「フェアレディZ」はそのランキングに間違いなく顔を出す存在といっていいでしょう。
その「フェアレディZ」は長い間愛され続けてきたいまでも残る車種名です。2021年には最新型の「RZ34型」が発売されて、日産のファンを大いに湧かせたのは記憶に新しいところです。

 その「RZ34型」では、これまでの歴代の「フェアレディZ」のオマージュとして、各部に往年の名モデルの特徴を盛り込んでデザインされたということはファンの間では知られるところですが、キャラクターを印象づける重要な顔つきに、初代「フェアレディZ」の特徴的な意匠が用いられています。

 ここでは、いまに至る「フェアレディZ」の源流である、初代「S30型フェアレディZ」について、少し掘り下げてみようと思います。

フェアレディZの源流

「フェアレディZ」の名を冠した車種が初めて発売されたのは1969年です。そのころは高度経済成長期の真っ只なかでした。それまでの日本のモータリゼーションは、大きく先行して長い歴史を築いていた欧米を目指して全力で追いかけている状態でした。そうして徐々にその技術が蓄積していき、いよいよ欧米の背中が見えてきたのがこの時期です。

 これまでは「追い付け!」だったところ、「これからは追い越す!」という気運が高まっていて、国産メーカーの各社は世界で通用するスポーツカーやGTカーの開発を精力的におこなっていました。

 その世界戦略の命を負って生み出された一台がこの「S30型・フェアレディZ」です。

 当時の欧米のスポーツカーの性能の指針だった200km/hでの巡航や、レースで戦える戦闘力などのスポーツ性能を備えつつ、価格の低さを後発ならではの強みとして備えることで、そのころもっとも大きな規模だった北米の自動車市場に切り込んでいくというのが狙いでした。

 はたして試行錯誤の末に生み出された「S30型・フェアレディZ」は、そのスマートな外観と、200km/h巡航を実現する高性能、そしてライバルに比べてはるかに安い価格が魅力となり、日本国内はもとより、北米を含む世界で累計55万台を超えるヒットとなりました。

 ちなみに「フェアレディ」は直訳すると貴婦人という意味で、麗しい女性というイメージです。日産で初めて「フェアレディ(正確にはフェアレデー)」と命名されたのは1960年に発売された1200ccのオープンスポーツでした。

 一説にはそのときの日産社長がミュージカル『マイ・フェア・レディ』を観て感銘をうけたことが命名の理由とされています。そこにはスポーツカーは美しくなければならない、という想いが込められているように感じます。


往 機人 OU AYATO

エディター/ライター/デザイナー/カメラマン

愛車
スズキ・ジムニー(SJ30)※レストア中
趣味
釣り/食べ呑み歩き/道の駅巡りなど
好きな有名人
猪木 寛至(アントニオ猪木)/空海/マイケルジャクソン

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