初出場で総合優勝を成し遂げたフェアレディ240Z
このころから世界のラリーは、セダンではなくGTやスポーツカーでの参戦が主流になりはじめ、日産も主力モデルをフェアレディ240Zにスイッチ。
1971年のサファリラリーで、初出場ながら総合優勝し、サファリ2連勝を達成。このとき2位も240Zだったので、ワンツーフィニッシュの完全優勝だった。現在まで続くWRC初年度は1973年になるが、このWRC発足後最初のサファリラリーも240Zが制した。
しかし、1973年といえばオイルショックの年。さらに排気ガス規制にも本腰を入れて対応しなければならなくなり、日産のラリー活動は休止となる……。
日産ワークスがサファリにカムバックするのは、1979年からで、ここから1982年まで未到の4連覇を達成。マシンはPA10型バイオレット。それまで活躍していたブルーバードよりもひとまわり小さなボディだったのが大きなミソ。エンジンは直列4気筒OHC・1952cc、最高出力190馬力のLR20B型を搭載。1981年からは、4バルブ化されたLZ20Bエンジンに進化している。
PA10バイオレットは、スーパーシルエットレースにも参戦。その心臓部、LZ20Bターボエンジンは、WRC用に開発されたグループ4規定のDOHC4バルブのシリンダーヘッドに換装されたものだった。
このLZ20Bターボが、スーパーシルエットのスカイライン、シルビア、ブルーバードに搭載され、「日産ターボ軍団」として人気を博していくのは余談。
1983年からは、グループB規定がはじまり、シルビアベース(S110)の240RSを投入。エンジンも新しい2.4リッターのFJ24となって期待されたが、アウディ勢をはじめとするライバルたちは、ターボ+4WDに移行しており、FRの240RSは苦戦を強いられ、WRCでは未勝利に終わる。
グループA時代になっても、S12シルビアで参戦するも、ビハインドは埋められず、1990年、パルサーGTI-Rを発売。コンパクトなボディに4WD+ターボで、必勝を期し、1991年からWRCに参戦。
しかし、重量バランスや冷却系の問題、タイヤサイズ、etc.がミスマッチで、参戦2年、最上位3位で姿を消してしまう……。
このパルサーGTI-R以降、日産ワークスはWRCから手を引いてしまったが、「技術の日産」「ラリーの日産」としてまたラリーフィールドに戻ってきて、そこから得た知見をフィードバックし、素晴らしいスポーツカーを作ってくれることを願っている。