市販フェラーリ初のターボ車も
それはイタリア国内の税制で、排気量が2リッターを超える新車には付加価値税が38%かけられてしまうというもの。標準の税率は18%だったので、倍以上の税率、しかもリーズナブルとはいえフェラーリは高額車両ですから、これだけでユーザーはゲンナリしてしまうことは確かでしょう。そこで、2リッター以下のモデルをイタリア国内むけにリリースしてはどうかと、フェラーリ社内で検討が始まったのです。
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ちなみに、208GTB/GTSと同時にベルトーネのボディをまとったディーノ208GT4も2リッター計画に加わり、国内向けラインアップの充実とお手ごろ感を狙ったのでした。2リッターフェラーリは1980年には発売が開始されていますが、当時のマラネロの仕事はさほど繊細なものではありませんでした。なにしろ、エンジンは新たなブロックを作らず、既存の2.9リッターブロックにインナースリーブをはめ込むというわりと大雑把な作業(笑)。加えて、308で使われたツインチョークのウェーバー40DCNFキャブレターを、より小型のウェーバー34DCNFへと変更。
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当然、エンジンの出力特性も変わることらギヤスケジュールは大幅に変更され、最高速も308のおよそ250km/hから215km/hまでダウンしてしまいました。これをもって「フェラーリ史上、もっとも遅いクルマ」とのレッテルが貼られてしまったようですが、当時の自動車雑誌がテストしてみると、「208GT4のほうが遅い」という結果に。208GTBはどうにかブービー賞にとどまったという次第です。
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1980-1981でマラネロは160台の208GTB、140台のGTSを完売したとされており、イタリア国内での評判はパフォーマンスの低下はともかく、おおむね好評だったとのこと。ですが、ひとり納得のいかない人物がいたことも確か。むろん、エンツォ・フェラーリ本人で、208の試乗後はしばらく誰とも口をきかなかったとか(笑)。
で、コメンダトーレのもとに呼びつけられたのが、当時F1エンジンを開発していた二コラ・マテラッツィ。彼はフェラーリ126Cに初のターボエンジンを載せたことでも有名で、あまりにも遅い208のターボ化を相談されたのでした。そして、早くも1982年に発表された208GTBターボはフェラーリ初のターボ付き市販車として注目されたばかりか、NAの208をはるかに上まわる220馬力を発生、240km/hに迫る最高速を誇ったとされています。さすが、F1からのリバースエンジニアリングはいまも昔も素晴らしいもの!
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ともあれ、フェラーリとしては初の試みとなった国内限定モデルは、ターボの登場でどうにか形になったといえるでしょう。これ以降、税制の変更があり、マラネロは二度と2リッターモデルを生産することはありませんでした。そう考えると、じつは208GTB/GTSってエンツォを悩ませた幻のモデルにほかなりません。史上2番目に遅いフェラーリってことで、オークションではそれなりの高値に……なりそうもありませんね(笑)。