この記事をまとめると
■NSXはホンダ初の市販量産スーパースポーツカーだ
■初代NSXは1990年から2005年まで販売された
■15年続いた初代に対して2代目NSXはわずか6年で販売が終了した
1990年に日本初のスーパースポーツカーが誕生した
NSXといえば、ホンダ初の市販量産スーパースポーツカー。初代モデルが登場したのは1990年のことで、当時の新車価格は800万3000円(5速MT)から。オールアルミ製モノコックボディをはじめ、自然吸気ながら自主規制値いっぱいの最高出力280馬力を発生したC30Aエンジンなど、NSXの「見どころ」はいっぱいあったけれど、なんといっても1980年代後半といえば、ホンダがF1で最強エンジンの名を欲しいままにしていた時代。ホンダ=モータースポーツというイメージも追い風となって、初代NSXは世界中でオーダーが殺到した。
その後、日本国内ではバブル景気の終焉とともに販売台数は縮小の一途となるものの、NSXは幾度ものマイナーチェンジを経て、2005年まで販売された。約15年という販売期間は非常に長く思えるけれど、ほぼ折り返しにあたる1997年にはMT車のエンジンが3.2リッターのC32Bへと換装されたほか、2001年には全モデルが固定式ヘッドライトへ変更されるなど、外観も変更されるビッグマイナーチェンジが行われるなど、そのモデルライフにおいてNSXは常に進化を続けていた。
また、スポーティモデルのタイプSおよびタイプSゼロ、脱着式タルガトップを備えたタイプT、そして運動性能を徹底的に磨き上げたNSX-Rなど、バリエーションモデルが豊富に存在したことも初代NSXの特徴といえる。
とはいえモデルライフの中期以降は標準モデル以外はすべて1000万円を超えていた高額車両だけに、車種展開は豊富ながら、いずれも販売台数は決して多くはない。それもあって2025年現在の中古車価格は上昇の一途で、当時の新車価格よりも高いのは当たり前。NSX-RやタイプSといったスポーツグレードはケタがひとつ増えた価格帯で取り引きされているほどだ。
初代NSXは後継モデルが発表されることなく2005年に販売を終了したが、約10年のインターバルを経て2016年に第二世代のNSXが発売された。初代と同じくミッドシップレイアウトを採用するスーパースポーツだが、時代にあわせて前後に計3つのモーターを組み合わせるハイブリッドで、駆動方式もSH-AWDと呼ばれる全輪駆動、またトランスミッションはDCTのみとされた。2019年モデルにてマイナーチェンジ、そして2021年には「NSXタイプS」へと進化を遂げたが、2022年秋には生産を終了している。
約15年にわたって販売され、生産終了から約20年を経た現在も「名車」との誉れ高い初代NSXに比べると、第二世代はやや地味というか、NSXという名称を受け継いでメーカーのもつ技術がすべて投入されたフラッグシップスポーツにふさわしい評価は得られていない……というのが一般的な印象ではないだろうか。
その違いを生んでいる要因について、「初代NSXにあったもの」と「第二世代NSXにはなかったもの」というテーマで考えてみよう。まず2台(二代)のNSXの発表時期には約25年もの隔たりがあるため、メカニズム的な共通項はまったくないといっていい。共通項は、エンジンを車体の中央に搭載するミッドシップレイアウトを採用していること、そして2シーターであることくらいだ。
初代NSXを語るうえで欠かせないものは、「ホンダ初の量産スーパースポーツカーを作る」という開発陣の気概だろう。初期段階では4気筒エンジンの搭載を想定していたことは知られているが、その時点ではスーパースポーツというよりも、究極の「ハンドリングカー」を目指して開発はスタートした。
その後、バブル景気やF1を筆頭とするホンダ=モータースポーツの常勝イメージの後押しや、メインマーケットに想定していた北米市場からの要望も絡まったことで、エンジンは3リッターV型6気筒へと変更、そしてインテグラやシビックに搭載されていたVTEC機構も搭載されるなど、スーパースポーツへと「格上げ」。結果、ポルシェ911やフェラーリ328と同等以上の運動性能、優れた操縦安定性、そして新世代のスポーツカーにふさわしい高い信頼性や快適性をも兼ね備えたモデルとして誕生した。
1990年の発売当時、スポーツカーといえば「運転が難しく繊細な操作やメンテナンスが要求されるもの」であったため、5速MT車だけでなくパワーステアリングを標準装備した4速AT車も設定された初代NSXには「ストイックさが足りない」や「スポーツカーらしい緊張感に乏しい」という評判もあったけれど、デイリーユースを可能とした多様性はその後のスーパースポーツでは常識となった。この点において、初代NSXはスポーツカーの歴史において革命を起こした存在といえる。