トヨタMR2の登場でコンセプト変更! 右往左往と迷走した悲劇のスポーツカー「パンサー・ソロ」とは (2/2ページ)

商業的には大失敗の幻のスーパーカー

 さらに、パンサーは商品力を上げる目的だったのか、ホイールベースを101mm延長して4人乗り、いわゆる2+2化まで行うという大改造。たしかにMR-2と路線は異なるものの、これらの改造はロータス・エスプリという強力なライバルと真っ向勝負を余儀なくするわけで、この時点で失敗フラグが立ちまくりな気もします(笑)。

 実際、ソロ2の0-60mph加速は7秒、最高速228km/hと公表されていますが、エスプリ・ターボは5.5秒、241km/hで、4WDシステムの重量差がなければ……と、悔やむ声もチラホラ。

 とはいえ、回転式ヘッドライトをはじめ空力を意識したスタイリングは市場でも高評価を受け、また当時の自動車雑誌によれば「ほぼ完璧な重量配分、シンプルでありながら見事にセットアップされたサスペンションシステムのおかげで、もっともハンドリングのいいスポーツカー」などと褒めちぎられたことも確か。このまま順調に市販されていれば、エスプリと等しく歴史に残ったことは間違いなかったはず。

 ですが、パンサー・ソロ2の受難はMR2の登場だけではありませんでした。開発途中の1987年、ヨンチョルは資金難から会社の80%を東亜汽車に売却することになり、新しい所有者はソロ2の組み立てを古いブルックランズの施設から約65マイル(105km)離れた場所にあるはるかに小さな工場に移転してしまったのです。これで従業員の大半が辞めてしまい、ソロ2の生産は遅れに遅れたとされています。

 フランクフルトショーで1987年に発表されてから、顧客のもとに届いたのはなんと3年後の1990年になっていました。さらに悪いことに、発表時の価格よりも3割ほど値上がりしており、またソロ2のパッケージも古臭くなってしまったのでした。当然、その後の注文も鳴かず飛ばずというわけで、翌年1991年には生産中止という憂き目に。結局、市販されたのは12台とも、24台ともいわれますが、どちらにしても成功作と呼ぶには程遠い数字に違いありません。

 それでも、近年ではパンサーのブランド力なのか、幻のスポーツカーとして注目を浴び、希少価値を求めるマニアも現れている模様。パンサーというバッジだけでなく、手ごろなミッドシップスポーツというコンセプトまではよかったのに、ソロとソロ2はまさに不運としかいいようがありません。

 デキの悪いMR2みたいなスタイルだって、いまとなってはエモいとさえ呼べるもの。もっと活躍してほしかったクルマの筆頭格といったらいい過ぎでしょうか。


この記事の画像ギャラリー

石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

文筆業

愛車
三菱パジェロミニ/ビューエルXB12R/KTM 690SMC
趣味
DJ(DJ Bassy名義で活動中)/バイク(コースデビューしてコケまくり)
好きな有名人
マルチェロ・マストロヤンニ/ジャコ・パストリアス/岩城滉一

新着情報